本日19日より、東京国立近代美術館にて
「アンリ・カルティエ=ブレッソン 知られざる全貌」
と題された、大回顧展が始まった。
ぼくは、たまたま招待状をいただいたので、
一足先に、昨日その展覧会を観てきました。
とにかく、ものすごい数の写真、写真、写真。
これだけの数のブレッソンの写真が一堂に会すというのは、
特に日本においては、最初で最後かもしれません。
それだけでも、十分に観る価値があるというもの。
とはいうものの、もちろん数が多ければいいということでもありませんよね。
しかし、それでもある程度の数になって、
初めて浮かび上がってくるものがあるのも、たしかなことで、
個人的には、その部分をとても強く感じた展覧会だったのです。
ぼくも今までは、ブレッソンの写真と向かい合うとき、
一番最初の印象は、「いいなー、きれいだなあー」だったのです。
しかし今回は、今までとは全然ちがう印象を持って、
ブレッソンの写真を観ることが出来たのです。
それは、もちろん今回だって、すごくきれいなのです。
しかも今回は、ぼくもはじめて観たのですが、
本人自らがプリントしたものと、
有名なガスマンというプリンターがプリントしたものが中心ですから、
その、ものとしての美しさは際立っています。
しかし、今回のブレッソンの展覧会は、
そういった写真的な美しさであるとか、
クオリティーの高さであるとかよりも、
もっと大きくて大切なものがあるということを、
改めて示唆してくれたような感じていました。
それというのも、ブレッソンは自らを
「ジャーナリスト」と読んでいました。
もちろん、それは盟友ロバート・キャパと共に
写真家集団「マグナム」を作ったことでもたしかなのですが、
そのことを、今回ほど強く感じたことはありませんでした。
そして、彼独特の茶目っ気まじりの皮肉たっぷりに
「人間は、この世の中は、けっこうおもしろい。」
と言っているかのように、感じることが出来ました。
だからぼくは、改めて「やっぱり写真って、いいよなあー」
なんて思いながら、楽しく写真を観ることが出来ました。
また、そんなブレッソンの写真を観れば観るほどに、
「やっぱりキャパっていう人は、すごい人だったんだなあー」
とも、改めて思ったのです。
そして、それはブレッソンよりもキャパといったような、
どちらが上とか下とか、そういう次元の話ではなくて、
とても大きくて魅力的な写真の世界みたいなことなのです。
どうやらぼくは、そのあたりに心奪われて、
今でも毎日、楽しく写真がやれているのだと思うのです。
いずれにしても、この写真展は、
ぼくのような写真を生業にしている人のみに限らず、
特に今となっては、そんなブレッソンの写真も
とかくクラシックとして扱われがちではあるのですが、
いやいやいや、というよりはむしろ、
デジタルカメラという便利な道具を使って、
もっと楽しく写真を撮るための、
大きなヒントがたくさんつまっているような気がします。
そして、だからこそ今、まだせっかく残っているのだから、
ぼくはあえてブレッソンと同じように、
カメラという道具と共に、フイルムと印画紙の組み合わせで、
徹底的に、もう一度改めて写真を撮ってみたいと思ったのでした。
そんな展覧会でした。
ぜひとも、足を運んでみてくださいね。
うそのない写真の世界は、すごく楽しい世界だと思いますよ。
ちなみに、今展覧会の図録は小さいし、掲載点数も少ないので、
「記念に!」と思う方以外は、こちらがおすすめです。
実は展示も、ほぼこの写真集の順番で構成されています。