September 2005アーカイブ

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at Enoshima

今月いっぱいで、74年間走り続けてきた、あの床が木で出来ている江ノ電304号車と354号車が、いよいよ引退とのことなので、最近デジタル一眼「Nikon D70」を手に入れてから、俄然写真熱が増している多彩なる音楽家・浦野さんと共に、急遽「写真を撮りに行こう!」ということになり、今日は朝早くから小田急線で、ちょっと乗り間違えながらも(苦笑)まずは藤沢に向かった。
そこで、いよいよ懐かしの江ノ電。久しぶりに訪れた藤沢駅は、既に知らない駅と化していた。それでも「のりおりくん」なる一日乗車券を購入して、江ノ電に乗り、やがて鵠沼あたりにさしかかると徐々に昔の記憶が蘇って来た。しかもそれらはすべて、あくまでも子供の頃の記憶なので、色彩の中の「黒」を失ってしまったかのような曖昧な記憶ながら、何とも明るい印象を持っている。それにしても、今日は日頃の行いのせいか(笑)その記憶に相応しい「あかるい空」。

実は祖父の家が鎌倉にあったので、ぼくにとって江ノ電は今となっては特別な電車。小学校四年生の時に、父の仕事の関係で二度の転校を繰り返し、東京に再び引っ越してきてから、おじいちゃん子だったこともあって、鎌倉という土地も、故郷のないぼくにとっては特別な場所。そしてぼくは、何度も祖父と一緒に江ノ電に乗って、江ノ島に連れて行ってもらった。

時には、祖父の家がある佐助から、長谷まで歩き、そこから江ノ島。
またある時には、銭洗弁天を抜けて、北鎌倉に出て、そこから鎌倉に戻って、江ノ電で長谷。
そして時には、江ノ島の帰りに由比ヶ浜で下車して、潮干狩りをして、捕れたハマグリを手に帰宅。
そして中学生になって、サーフィンを始めたぼくは、祖父の家から度々稲村ヶ崎に向かった。
それこそ当時ロングしかなかったサーフボードを電車に乗せていいことになったのも、確か江ノ電が最初だったような?

とにかく江ノ電には、いろんな思い出がある。しかもあくまでもぼくにとっての江ノ電は、何と言っても今回引退する、いわゆる鉄オタ的には「300系」と呼ばれているもの。その後は、辛うじて同様の配色に塗られた「レトロモデル」なる車両はあるものの、基本的には、その姿も色も淡泊で、しかもデザインも最悪の新型車両が中心となってしまうとのこと。そしてそれはきっとこの街の風景を変えてしまうのではないかと、今から心配。

ぼく達は、その馴染みのない新型車両にコトコトと揺られながら、まずは街中を走る「江ノ電」を撮影しようと、江ノ島で下車。そして江ノ島側とは反対側の、浦野さんお薦めの撮影ポイントに向かうと、既に数人の「鉄オタ」。最初はそれに混じって電車を待っていたけれど、その目の前にちょっと面白いお店を発見。

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何とこれは、「江ノ電もなか」なる和菓子屋さん。しかもこの車両の中で本当に作っている。(笑)
それにつられて、フラフラといったおかげで、そこで新たなビューポイントを発見する。そして、そこで撮れたのが一番上の写真。「さよなら304号車」というヘッドマークも付いている!
そんなわけで、まずは満足の一枚を撮影。
そしてぼく達は、またしても江ノ電に乗って、次なる撮影地に向かう。

次なる目的地は、あの「俺たちの旅」のロケ地でも有名な「極楽寺」駅。
その山間の、土手に彼岸花の群生を見つけ、暫し目先が変わる。
駅の側には、トンネルがあってそこを狙おうとするも、視界を遮る障害物が多し。
そこで今度は歩いて、それこそ馴染みの深い「長谷」駅に向かう。
その静かな住宅街の中を江ノ電が走り抜けていく様は、まさに鎌倉ならではの光景。
ぼく達も、神社の前の撮影ポイントで、ちょっと粘って撮影。
なかなか思ったような写真は撮れなかったものの、お腹も空いたので、近所で昼食。その海が近いことを感じさせる地元の食材を、ふんだんに使った料理は美味。

そして食後、何となくその海に引っ張られるように、「坂ノ下」の海辺へ向かう。空は相変わらずのほぼ青空。しかも葉山方面の山の上には、ちょっと夏な雲。
その浜辺は、ちょっとした入り江になっているので、どちらかというと波も小さいので、それこそサーフィンを始めた頃に、ぼくはこの浜で練習を繰り返した。どうやら最近は、ウインドサーフィンのスポットとなっている模様。それにしても昔は、浜辺の色はもっと白かった。

ちょっとゆっくりと寄り道をしてしまったので、日もだいぶ傾いてきた。
浜辺を歩いたせいか、今度は海抜けで江ノ電を撮影しようと、今一度江ノ電に乗って「鎌倉高校前」駅に向かう。
この光景も、やはり江ノ電ならではのもの。
そんなこんなで、江ノ電は十分に楽しむことが出来た。しかし、こうやって何度も「さよなら」のヘッドマークを付けた最後の「江ノ電」を見ていると、ちょっとだけ感傷的な気分。
しかも、その気分を助長するように、夕暮れが近づいてきた光がその影を伸ばしている。

当初の予定よりも、かなり遅くなってしまったものの、やはりここまで来たんだから、帰りに江ノ島に寄っていこうということになり、江ノ島に向かう。
あたりはすっかり夕暮れ時で、桟橋を渡る頃には久しぶりに見る大きな夕日が、あたりの海面をキラキラと照らしている。そこでまた、その夕日にゆっくりと向かい合ってしまうものだから、時間はいくらあっても足りない模様。
それでも慌てて、「エコカー」なる有料エレベーターで、日没直前の空の下で、数年前に新しくできたぼくにとっても初めての展望台に、急ぎ足で向かう。そこは以前の赤かった展望台に比べても、かなり大きなもので、上に上るとオープンエアーで360°のパノラマが見渡せる。

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先程まで大きく漂っていた夕日も、そのほとんどが地平線の彼方に沈んでしまった。しかしそのおかげで、その瞬間は、偶然にも360°光量がほぼ均一といわれる、まさに「マジックアワー」。

そして、その時間の概念を失う瞬間の中で、ぼくはもっと大きな「過去」と「現在」という大きなタームでも、一瞬その概念を失ったような錯覚を覚えた。
おそらく、その大きな原因のひとつは目の前に拡がる大地のかたちなのかもそれない。
昨今、ここ鎌倉に限ったことではないけれど、街の様相の多くは一変し、それは時にそこが何処だか解らない程になったとしても変わらないものある。もちろん、厳密に言えば全く同じでなかったとしても、その海岸線は、ラインとしての印象は変わっていない。

そのラインと、思い出のラインが重なる、ここは原風景の空。@坂ノ下、鎌倉

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from Mushishi's opening act

来る10月20日よりBEAMS新宿の「B Gallery」にて、実は初のストロベリーズ展でもある「I LIKE TODAY」展が開催される。
今展は、基本的には、我がストロベリーズの新鋭、千葉尚史、田尾沙織、塚崎裕子ら三人の写真展。そして彼らが、大きな意味での「観光」という写真行為の中で生みだした「一枚の写真」は、実は他にも様々なものを生み出していく。そういったことが、おそらく写真を取り巻く環境が大きく変わっていることのひとつなのではないか? と感じている。そこで今回は、彼らに中でも最もポピュラーで、古典的な副産物とも言える「本」を作ってもらうことにした。しかしそこはやはり現代写真家たちなので、ただの「本」ではなく、塚崎に至っては、もともと漫画家だということもあって、その「一枚の写真」から生まれた「漫画本」が出来上がる予定。乞うご期待。
一方、ぼくの方はというと、今回は具体的な「一枚の写真」は展示しない。その「I LIKE TODAY」という毎日の中で生まれる写真から新たな「Lightwavegraphy」を作り上げて、会場内でプレビューする予定。この「Lightwavegraphy」というのは、偶然にも同時期(10/22)よりオン・エアされる「アニメ・蟲師」のオープニング・ディレクターを長濱監督より頼まれて、試行錯誤の制作の中で生まれた新しい映像概念のひとつ。それは基本的には「モニター」という近代的な発光体の中で、改めてそれらの映像を「光そのもの」として、強く意識しながら構成されたもの。しかしその印象は驚く程にとても写真的だったりする。しかもその映像群は、少なくともぼく自身が懸念しているデジタル映像独特の薄っぺらい感じとは異なった印象を与えてくれる。だからこそ、ぼくはそこにひとつの可能性を感じている。しかもその感じは、「湿板写真」という古典技法と向かい合う感じにとても似ているから不思議である。
そして今回は、そのベーシックになったとも言える「日常を観光する」といって、かれこれ三年近く毎日更新中の「今日の空」がモチーフ。何となくイメージはあるものの、この「空」というのは、そのたわいもない「今日という日常」の中においては、それこそ「光そのもの」なので、当然のことながら、その編集は極めて難しいことが予想される。

そして本日より、その編集にいよいよ岡本が着手した。それこそ彼女は、ぼくが映画の撮影監督を務めた時から始まって、「湿板写真プロジェクト」を含め、現在に至るその全てのいろいろを知っている。そうでないと理解することが難しい部分もあるので、おそらくこの「Lightwavegraphy」という概念、及びに制作に関しては、彼女無しでは成立しない。
とにかく現時点では、制作を開始したというご報告。そしてその結果をお楽しみに。

夜風が涼しくなってきた。これで月でも出ていたらと、風流な気分で空を見上げるも、残念ながらの曇り空。それでも今日の夜風は、不思議とある種の安心感を持って心地がいい。

こうやってゆっくりと季節が進みながら、きっと明日は明日の風が吹く。

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25/09/2005 17:45 Hatagaya,Tokyo

昨日から各地に強い風と雨をもたらしてた台風17号が東京の空から離れていった。そして久しぶりに美しい夕焼けの空の下で、何より悔やまれるのが、せっかく戴いたチケットがあったにもかかわらず、結局一度も行けないうちに「愛知万博」が閉幕してしまったこと。Fさん、ごめんなさい。。。
行けなかったことよりも、そのことが申し訳ない。

明日は月曜日。新しい週が始まる。今こうやって書き込みをしながら過ぎ去った昨週を考えると、何ともスッキリしない。それ程に、休みの多かった昨週はぼくにとって、悶々とした一週間だったことは確か。

台風が去って、新しい週が始まる前の日曜日の夕方が夕焼けであることは、ちょっと嬉しい、新しい始まりの空。@幡ヶ谷

すっかり、深夜の更新が癖になってしまった昨今の中で、時折以前の更新を懐かしく思い出す今日この頃。それこそ今年の3月までは、「何としても光のあるうちに」という思いと共に、不得手なPC通信を駆使して、徳重さんに画像とコメントをメールで送っての更新を続けてきた。おそらく、そのライブな感じならではの良さがあったのは確かだけれど、そのことそのものが、いつの日も大きなリスクとしてのしかかっていて、少々本来の目的を失いつつあったのも確か。そして最近は、こうやってゆっくり落ち着いての更新となると、どうしても深夜。それはそれでどんなものか? と思いながらも、今日も「I LIKE TODAY」と呟いてみる。

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昨日9月22日夜、友人の清野さんが元プロボクサーだったおかげで、彼の後輩の吉田さん(元東洋6位!)の、それまた後輩の、福原力也選手が、いよいよ初の日本タイトル挑戦とのことで、その応援のために後楽園ホールに駆けつけた。
ぼくにとっては、後楽園ホールにてのボクシング観戦は昨日で二度目。一度目もやはり福原力也選手の試合だった。しかもその時、吉田さんに連れられて対戦前の控え室に案内された。生まれて初めて見たそのサロンパスの臭いが立ち込めたその光景は、それこそ「あしたのジョー」の世界そのものだった。そしてその時に、控え室でシャドーボクシングを繰り返す力也君を紹介されたものの、ぼくの方が緊張してしまって「一言」さえ話すことが出来なかった。「あしたのジョー」と書いたが、確かに彼は「ジョー」を彷彿させるものの、ある意味ジョー以上にハンサムで格好良い。その上、彼の肢体は筋肉のみで体脂肪ゼロという感じで、それだけでも美しい。しかもリング上でもその美しさは変わらず、時折スピードがあって、伸びのあるストレートが軽やかなステップの中で繰り出される。前回は、そのストレートで1ラウンドでKO勝利を決めた。
しかし昨日の元チャンピオン・木村章司選手は、既に世界ランク入りしていて、しかも13戦負け無しという強者。当然のことながら、下馬評は圧倒的にチャンピオン有利とのことだった。そんなことも手伝ってか、こちらとしても前回以上の大きな緊張感の中で、第一ラウンドのゴングが鳴った。

力也選手は、第一ラウンドから飛ばしていった。予想以上に、いきなりの攻勢が続く。こうなるとこちらも、「勝って欲しい!」と思っていた気持ちが、今度は「行けるかも!?」という思いがラウンドを追うごとに強まる。それは会場内も同様だったようで、チャンピオンに申し訳ない程に、やがて後楽園ホール全体が、「リキヤ!リキヤ!リキヤ!」とリキヤコールを繰り返す。
そしてその流れは、とても短く感じた最終10ラウンドまで変わらず、KOは逃したものの、見事3-0の判定で、彼は「新日本チャンピオン」となった!!!
ぼくも、大きな興奮の中でその瞬間を共有していたので、当然のことながらその瞬間の写真は一枚もない。(涙・苦笑)写真家としては。。。
ただ個人的なお祝いとして、今度は写真家らしく、生粋の記念のポートレイトを撮影させてもらうことを約束して、実は昼間ちょっと嫌なことがあったけれど、そんなことも全て吹っ飛ぶ程に嬉しい気持ちで、これまた「I LIKE TODAY」と、後楽園ホールを後にした。

それにしても、このスポーツの世界の「明」と「暗」は、他の比較にならない程に強烈なもの。現に力也選手は、この勝利で今までの過去もある意味全て報われ、そしてその未来も一気に拡がっていく。しかし一方、敗者の木村選手は、もちろんこれで終わりではないけれど、その瞬間に全てを失ってしまうことになる。確かにそれが、スポーツの良いところでもあるけれど、どうしてもそんなことが気になってしまうぼくは、裏を返せば、まだまだアマちゃんてことなのかも?

それでも、ぼくはやはりボクシングが好き。そして今、福原力也というボクサーが好き。

とにかく、力也君おめでとう!!!

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今日も深夜に一日を振り返る、今日の空。
やはり今日も昼間は何だかんだと、いろんなことに振り回されて、ゆっくりとした時間はなかなか生まれてこない。一方こちらの頭の中は、実は思いの外、様々な事柄が活性化している。そんなわけで、知らず知らずのうちに、夜一人になってからゆっくりと物事を進めているのが現状。もちろん儘ならぬ毎日の中で、それこそ儘ならぬことを進めるのは、それなりの困難を伴うもの。
それでも、そんな日常の中で、遅くなってしまったが、いよいよ始まる「東京観光写真倶楽部」のご案内を配信。これは単純に、とにかく今後の展開も含めて楽しみのひとつ。

涼しい風が吹いてきたと思ったら、やがて雨。
深夜の静寂の中で降る雨は、その姿がはっきりと見えない分、その雨音は昼間以上に印象的な音として聞こえてくる。
そうこうしていると、あっという間にその雨は止み、今度は虫の声が聞こえてくる。

同じ夜の中で、全く印象の違う音が聞こえてくることが、不思議と大きな説得力を感じる夜の空。

この「今日の空」と題してブログを書くのは久しぶり。そう言えば、ここのところ、あれやこれやといろいろ書いた。しかもその全てが深夜に繰り返された。そのいくつかに対して読者の方々からも多くのメールを戴く。しかもそのほとんどが、賛同と応援の内容だったりするので有り難い。多謝。それにしても少し正直に書き過ぎているようで? 全てを見透かされているようで、自分でまいた種ながら少々恥ずかしい。(苦笑)それでも確かに、この季節の変わり目と共に、自身の中でも何かが大きく動いているのは確か。

そして今日は朝から湿度の高い曇り空。何ともはっきりしないその空の下で、連休明けということもあって、慌ただしい一日だった。そんな一日はあっという間に時間が過ぎる。それにしてもまだまだ蒸し暑いけれど、気温も徐々に下がってきている。そして夕刻にはシトシトと雨。

はっきりしない空模様が続く日常の中で、それでも確実に移り変わるその変化に目を凝らす眼差しは続く空。@東北沢

今のぼくにとっては何よりも大きな勇気を与えてくれるコラムを見つけたので、ちょっとご紹介。

あの人気サイト「ほぼ日刊イトイ新聞」の中で、糸井さんが毎週月曜日に書いている「ダーリンコラム」というコーナーで、ちょっと興味深いことを書いていた。
というか、実は偶然にも、ここのところぼくも同じようなことを考えていたのである。それは読んでもらえば判る話だけれども、そこで糸井さんは「個人競技選手」と「団体競技選手」という例えで、自身の生き様に言及している。もちろん「同じようなこと」などと書くだけでも申し訳ない程に、これまでぼくとは比較ならない程に糸井さんは「個人競技選手」として、第一線で活躍されてきたのは承知の事実。
ここで自分のことに話を戻すと、先日何度も書いたようにNew Yorkの「Pace/Macgill Gallery」にて、敬愛するロバート・フランク氏などと共に展示した展覧会を観に行って思ったことのひとつに、「今まで続けて来て良かった!」という単純な喜びと同時に、実は写真を始めてから初めて、自信のようなものが持てたことだった。それまでのぼくは、その仕事に確信を持ちながらも、その結果に喜びはあったとしても、一度も自信のようなものを感じることが出来なかった。それは時に、自身の写真行為そのものもどこかで否定してしまうことにもつながる程に危ういことであるとも言える。それでもこうやって続けてこれたのは、偏に「いい仲間に恵まれたこと」と、苦しいながらも「自分に嘘をついてこなかった」ということに他ならない。
このようなひとつの頂点に近い場所に辿り着けたとき、特に写真作家のような個人的な仕事の場合は、おそらく普通であれば、より強いかたちで糸井さんが言うところの「個人競技選手」を意識することになると想像される。しかしぼくがその時感じていたのは、大いなる喜びの中で、不思議なもので、自分でも驚くことに、今まで以上に「団体競技選手」として出来る何かに向かっている自身の存在だった。もちろん、それは単なる共同作業ではなく、むしろ、だからこそ今まで以上に「個人」としての自分の有り様が大切なのだと思っている。
現に、今回展示した「湿板写真」にしても、もともとは沖縄における映画という共同作業の中で、撮影監督を務めたことに起因している。実は何においても、個人的な仕事も含めて全ては他者と関わる中で生まれている。今までも、そのことに自分なりには正直に対峙してきた。しかも気が付けば、今年で20年。ただ、ここへ来てそのやり方が変わってきた。
それはおそらく、ここで糸井さんが言っているような意識の変革なのかもしれない?

何だか、相変わらず上手く書けない。ただ一見矛盾しているように思うかもしれないけれど、このように考えることは、実は今まで以上に「個人」として、「自分らしく」自分本来のプレーをすることが必然となる。そしてその結果として、コミュニケーションという方法論の中で交わったとき、本当に「自分が自分であること」を認めることが出来るのだろうし、本当の意味での楽しみが生まれるのではないかと思っている。
とにかく今、とてもはっきりとしたかたちで、その姿が想像出来る。だから当然、やりたいこともたくさんある。そして、それをひとつでも実現するためにも、改めて「団体」のために「個人」を強く意識している自分がいる。

そういえば、今回の「アニメ・蟲師」のオープニングディレクターの仕事もそのひとつ。
その正直ながらも勝手な制作の結果、新たに生まれた「たった一枚の写真」から、その全ては生まれた。その上、今回に至っては、幸運にもアニメの「サウンドトラック」にもかかわらず、ジャケットも写真。そしてそのエンディングにさえも、写真が存在している。しかもそれは、驚く程に自然なかたちとして存在しているのがことのほか嬉しい。

もしかしたら、それもこれも「時代」というひとつの流れの中で生まれてきたものかもしれないけれど、少なくと写真家にとっては、幸せな時代だとぼくは感じている。


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そしてもう一つ「ほぼ日」ネタ。

というか、これもたまたまずっと気になっていることのひとつが紹介されていた。
中沢新一さんが「アースダイバー」というタイトルで、この東京を「垂直的な知性の冒険」として、縄文地図を手に導き出したひとつの杞憂な土地論のようなものを、どうやら糸井さんが中沢さんと一緒に「現在」という「日常」の視点から、その古代を垂直的な知性と共に散歩しながら、映像で探っていくという試みをされているとのこと。
う〜〜ッ、同行したかった!

ぼくも偶然にも、先に書いた映画「青い魚」で沖縄に関わってからというもの、奄美大島にしても気が付くと、見えるか見えないか解らないような、そこにある「光のようなもの」を追いかけている。そしてその中で必然として生まれたのが「湿板写真」でもある。
だからその琉球弧に脈々と流れるそれらが、東北はもちろんのこと、ここ東京にも確実に存在していることを知ることは、ぼくにとってもとても大切なことだと思っている。しかもそれを何とか、単なる懐古主義ではなく、現代という日常とつなげる作業をむしろ新しいこととして成立させることが、ひとつの目標でもある。そしてそれを信じることが出来たとき、ぼくはもう一度大きな安心感を持って、ここにいることが出来るような気がしている。しかもそれはおそらく縄文云々ではない、日本そのものなのではないかと勝手に想像している。


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ぼくは子供の頃から月が好き。
そうそう、そして月にまつわるいろんなことがとても好き。
なんて書くと、女の子っぽいけれどそれは仕方ないこと?

それにしても一般的に月の色は、なぜか子供の頃から「黄色」と決まっている。しかし実際はそれ程に「黄色」ではない。だからあくまでも印象としての色と思っていたが、今日の「中秋の名月」のお月様は本当にとても黄色くて、しかもそのあたたかい色で、驚く程に明るく世界を照らしていた。

だから何度見ても、いつまで見ていても、やっぱり月が好き。

SILENTSEEING 2005 Moon in I LIKE TODAY

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来る9月15日に、現在東京都現代美術館にて開催中の「イサム・ノグチ展」のレセプションに出席してみた。ここのところ何故か? このようなレセプションの招待状をよく戴くものの、何となく場違いなような気がして足が遠のいてはいたが、今回は何といっても「イサム・ノグチ展」である。ぼくは、今更ながら以前よりこの人のことがずっと気になっている。もちろん今までも、New York「MOMA」における展覧会をはじめ何度か氏の作品は観てきている。そして氏の大ヒット商品のひとつでもある「Akari」シリーズという和紙の照明器具は古くからの愛用品のひとつ。あのガラスのテーブルも、置き場所もないくせに何度も買いそうになった経験がある。(笑)
ぼくが「イサム・ノグチ」という作り手について、決定的に興味を持ったのはある人との出会いから始まった。それは15年程前に「仕事師、京に生きる。」という連載を担当していて、多くの京都の職人さんたちを取材させてもらっていた。その中で、今でも料亭「吉兆」などをはじめ多くの蹲踞(つくばい)の制作を手がける西村さんという石材師のところに伺った折に、話は「イサム・ノグチ」氏に及んだ。その先代が、氏の彫刻の手伝いをしていたときの話であった。当時一緒に手伝ってはいたものの、若かった西村さんは、その作品は全くもって理解出来なかったとのこと。しかしある岩盤の前に共に立って石を選定しているときに、ノグチ氏が何となく「あのあたり」といった場所から採石された石を見て、驚いたとのことであった。実はこの石の選定が一番難しい作業のひとつで、むしろこれで全てが決まってしまうといっても過言ではないそうである。それを一発で言い当てたノグチ氏に対して、西村さんはその時初めて「天才を見た」とおっしゃっていた。それはぼくにとっても、何より印象的なエピソードであった。
その時から、ぼくは「イサム・ノグチ」という作り手をいつの日も追いかけてきた。そしてひとつだけ解ったことがあるとするならば、その仕事の中における「無から生み出される美」というものに対しての一貫性である。しかもその美意識は、氏の全ての仕事において貫かれている。そしてそれらの全ては、この大地に起因していることが明確に示されているように感じる。だから余計に、その大地そのものでもある石の彫刻の数々はその中でも極めて秀逸だと感じている。
そんな「イサム・ノグチ」氏の仕事の原点とも言える「モエレ沼公園」が遂に札幌に没後17年の今年の夏に完成した。氏は残念ながら完成を待たずして他界してしまったが、学生時代に構想した「Play Mountain」というシリーズが、このようなかたちで成就したことは、やはり美術というもののひとつの幸福なかたちとも言える。いつか訪れてみたいと思っている香川県の「イサム・ノグチ庭園美術館」と共に、もう一つ「イサム・ノグチ」という偉大な作り手ゆかりの地が出来たことは、個人的にもまた楽しみが増えた。そして今回はそれを記念しての回顧展とのこと。残念ながら、東京都現代美術館におけるその展覧会は、石の彫刻も少なくそのロマンを語るには少々物足りないものの、少なくともその一貫した美意識を堪能することが出来る展覧会だった。

いずれにせよ、ますます「モエレ沼公園」に行ってみたくなった、そして改めて自身にとっても「イサム・ノグチ」氏という作り手が、この大地のように大切で大きな存在であることを知ることが出来た一日だった。

今日は朝から雲ひとつない快晴の空。そのスッキリ晴れ上がった空の下で、ぼくは朝から屋内で撮影。しかも屋内プールにての撮影だったので、異常な程の汗をかく。まさに服を着たままサウナの中にでも入ってしまったかのようで、暫しグッタリする。ひと休みして落ち着いたので、さぁ〜やるか!と次の作業に取りかかろうとすると、今度は目の前の通りに「ワッショイ!ワッショイ!」と御輿がやってきた。しかも目の前が中継地点になっているので、いきなりの大賑わい。事務所がある2階から、その多くの人々の楽しそうな顔を見ていると、こちらまで楽しい気分になる。そして当然のことながら、この中目黒という街もぼくにとっては仕事場でもあるけれど、古くより人々が暮らす街のひとつであることにかわりはなくて、そんな当たり前のことを思い出させてくれた瞬間でもあった。
しかも今日はこのブログを始めて今回でちょうど100回目のエントリー!
その上、今日はいわゆる「中秋の名月」。二年前に開催した「SILENTSEEING Moon in Beams」を懐かしく思い出す。しかもこの様子だと、今日は東京でも美しい満月が望めそう。

蓄積された疲労感の中で、たまにはのんびりと、しかもただひたすらにぼんやりと月でも眺めていたい、今日は日が暮れると中秋の名月の空。@中目黒

今日は気持ちのいい「やっと秋かなぁ〜」と思える、同じ青空でも昨日のそれとは少し違うスッキリとした青い空が拡がっている。昨日はまったりとした一日。それというのも一昨日より編集スタジオ入りして、結局徹夜で編集に立ち会い、終わったのが午前10時。

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それでも、撮影こそなかったものの普通に打ち合わせなどを繰り返し、夕方にはそれこそいつものように近所の目黒川沿いの測道を空りながらの散歩。眠たくぼんやりしていたことも手伝ってか? その空もいつもよりもとても柔らかく見えていたような気がする。その柔らかい空にいくつかの思いが重なり、小さな覚醒。その一瞬あたたかい感覚に包まれた瞬間は不思議と安心感を与えてくれた。そしてこの季節の変わり目と、自身の環境の変わり目が交錯する中で、こうやって新しい一日が生まれる。
そんなわけで、出来れば毎日と思っているこのブログも久しぶりの更新。

見上げれば、上昇気流に流れる雲が泳いでいる。そしてその雲たちは次から次へと姿を変えていく。その雲を眺めていると、たまには流れてみるのもいいのかもしれない、などと思う変わり目の空。@代官山

考えてみれば、久しぶりにパソコンに向かっているかも? ここ数日はそれ程に朝から夜まで外に出ていて、ゆっくりとした時間がなかったことも確か。それにしても相変わらずの残暑が続いている。その空の下、昨日も朝に夕にと撮影が続き、その合間に現在盲腸で入院中の間宮さんを見舞う。思ったよりも元気そうだったので安堵する。もちろんお見舞いの品は「蟲師」全既巻!
そして今日も朝から撮影に出て、先程やっとこうやって少しだけひと休み。外に出てた時間が長かったこともあって、それなりの実務も残っている。そんなこんなでもう少し頑張ってみることにする。
そうはいうものの、やはり身体は少々疲れているようで、何となく気怠い感じ。そんな感じはここのところの毎日そのもの。それでも天気予報によると、明日からは徐々に秋らしい天気に変わっていくとのこと。

そのことが待ち遠しい感じもする、夕暮れ時のコンクリートの中にも少しだけ秋の気配の空。@新宿

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15:00 Higashikitazawa,Tokyo

何となく気が乗らなくて久しぶりの「今日の空」。それもそのはず昨日も今日も晴れの空ながら、実はその一日のほとんどが曇り空。その上先程は、今日は衆議院選挙なので、その投票率に影響が出そうで心配になる程の突然の雷雨。
昨日は、当初金曜日に大阪入りする予定もそうも行かず、結局日帰りで大阪。冷静に考えてみれば、滞在時間よりも新幹線の車中時間の方が長いのだから疲れて当たり前。どうやら人間の身体は、この高速移動に適していない。それもあってか、いつになくまったりとした日曜日。
せめて音楽でも聴いてと思って、久しぶりに針を下ろしてみるも、その音も納得のいく音が出て来ない。困ったことに音はこの陽気のせいもあって、いつになく延びてこない。しかもその原因はもっと根本的な問題がそこにはあるような予感? それを修正しながら自身の求める音に辿り着いていくプロセスは、それはそれで楽しみではあるものの、今すぐ楽しめないのが今日は痛い。そしてそれがダメならとギターを鳴らしてみる。大した腕ではないのはもちろんのこと、しかもそれに見合ったギターなので、当然その音も大したことはない。しかしその実在感は、やはり生ならではの響きがある。それを上手く説明するのは難しいけれど、もしかしたらそれは温度のようなもの?
こうやってここまで、たわいもない日常を書き綴ってみると、何とも気分も含めて「つまらない」いろいろ。
出来ることならば、そんなことは書きたくないけれど、その何のメッセージ性もない、やもすると愚痴っぽく聞こえてしまうかもしれない日常も、やはり大切な「今日」という日の一日であるには違いない。そんな日常の中で、早いもので4年前にニューヨークではあの惨事が起きた。そして4年後の同じ日に日本では、いつにも増していい意味でも悪い意味でも国民がそれなりに興味を持って選挙が行われている。ただ残念なのが、やはりそこでもいろんなことがはっきりしてこないということ。そのことも手伝ってか? 何となくの気分につられて書いてはいるけれど、それでも確かなこととして嬉しいことが何もなかったわけではない。
要は、全ては視点次第でどうにも変わるということを再確認する。
そうなると、頭に浮かんでくるのは先程までの曇り空のイメージではなく、その印象はとてもあかるくてあたたかい。
今日のような日曜日が、もし日常の視点の切り替え日として成立したならば、きっとそれはそれで大切な休日の役割。
それでも改めて自身のことに話を戻すと、いわゆるやらなくてはいけないことが山積みになっている事実と、子供っぽい思いの間でバランスを失っている自分がいる。(笑)

それもこれもとにかく曇ってばかりはいられない日曜日の空。@東北沢

今日は何とも沖縄的な台風一過な一日。空は久しぶりに気持ちよく青く晴れ渡っていたものの、ここが東京で、しかも9月だということを疑う程に蒸していた。電車に乗っても、クーラーの効いた車内を一歩外に出ると、その人混みに至ってはその場にはまるで熱風が吹いているようだった。
それこそぼくは十年前のちょうど今頃、沖縄で映画のフイルムを回していた。それこそいったい毎日数リッターの汗をかきながらの撮影であったことを、懐かしく思い出す。それ程に今日は沖縄な一日だった。不思議なのは、暑い暑いとハンカチで汗を拭いながらも、一日も早くあの沖縄に行きたいと思っている自分がいるということ。もちろんそれには個人的な理由もあるものの、同時にあの地にはこうやって人を惹き付ける何かがあるのも確かなような気がする。
昨晩は、それを悟られたように待ち合わせたところが偶然にも沖縄料理屋さん。偶然というのは、こうやって時に驚く程のタイミングでやってくるから面白い。そしてその感じは、実は写真そのものに似ている。
今日は早朝より横浜の鶴見で撮影。しかしそこにはもちろん偶然なんてものは存在していなくて、その殺風景な光景に必死で必然を見つけ出そうとするも、残念ながら、それをやればやる程に焦点がぼけていく。。。
空は同じでも、時にはこうやって自身の思いの景色と、実在する景色を重ね合わせることさえ難しい時もある。

その違和感にフラストレーションと少しばかりの憤りを感じながらも、改めてカメラがなくても写真は撮れることを痛感する、どうやら思いここにあらずの空。@横浜市鶴見

今日の東京は、朝から強い風が吹いていた。しかもその風は生温いアジアな感じ。それこそ台風が沖縄の風を引っ張り込んでいるようにも感じ、気が付くと思いは不思議と那覇に飛んでいる?

これより、ホンジュラス戦に少々後ろ髪引かれながらも外出予定。その前にちょっと時間が出来たので、久しぶりに早めの更新。
先程、いつものように無理矢理時間を作って、夕方の「空散歩」。ゆっくりではあるけれど、少しずつ「少し日が短くなったかも?」と思いながら、夕暮れ時の目黒川をフラフラ。

その生温い風に吹かれながら、東の空にカメラを向けると、やはりそこには大好きな「那覇・希望ヶ丘公園」から望む空と同じ色をした夕暮れの空。@目黒川

今日も何だかんだと深夜の帰宅。現在、台風が山口県沖にあって、今後日本海に沿って北上していく模様。どうやらそれに気圧が刺激されているようで、東京地方もはっきりしない天気が続いている。

そんな空の下で、今日は午後に「伝える」〜「伝わる」ということの楽しさ、喜びを改めて実感することが出来た嬉しい来客あり。そして、このような新しい出会いは必ず、ひとつの必然として新しい何かを生んでいく予感がする? まずはわざわざお越しいただきありがとうございました。多謝。
そしてもう一つの嬉しいこと。それは多くのメールに混じって、その中に嬉しいメールを発見。何と、五年前に残念ながら若くして他界された、故松本治巳氏のお嬢さんからメールを戴く。その彼女のメールに書かれていた「空から見守ってくれている」という一言は、こうやって毎日空を眺めているぼくには、何よりも説得力のある言葉と感じることが出来た。そして本当にぼくは、松本さんのことが大好きだった。

こんな日は空がどれだけ曇っていても、それに負けない程に気持ちは晴れやかな空。@中目黒

正確には、このタイトルからすると既に間もなく明日の朝? こんな時間になってしまうとさすがに眠い。それでもこうやって、何かを書き綴っておきたいと思う不思議。昨晩東京は各地で局地的な大雨に襲われた。心配になって近所の目黒川を覗いてみるも、水位も低くこの川の機能の高さに妙に感心する。雨は弱まったものの、それでも今日は一日中シトシトと降り続け(未だに降っている)秋雨とも呼べずにスッキリしない天気が続いている。そんなグレーな一日の中で、今日もいろいろあったのは確か。何がどうしたということではなく、晴れを待っている自分がいて、そしてもしかしたら慰めのように、そんな雨の日も刻んでおきたいと思って眠たい目を擦って綴っている自分もいる。

そしてこの台風が去ったらきっと晴れる、雨そのうちきっと晴れな空。@浜松町

この陽気のせいか? 眠いはずなのにもかかわらず眠れなくて、夜が明ける。
その本来だったら気持ちよく明けていく朝焼けさえも、慌てて鳴き出したように聞こえる蝉の声と共に、いつになくゆるい感じ。

今日はどうやら晴れそうにないけれど、そんな一日の始まりの朝焼けがせめてもの精一杯な空。@東北沢

ここへきて厳しい残暑が続いている。昨日は久しぶりに、現在鷺宮の「蟲籠」なる「アニメ蟲師制作分室」にて10月からの放映に向けて最後の追い込みに入っている長濱監督のもとへ打ち合わせに向かう。以前にも書いたようにその場所は、ぼくが通っていた都立武蔵丘高校の近くなので、その道すがら走馬燈のようにいろんな思い出が蘇る。今はちょうど、それこそ夏休みが明けて二学期が始まったところ。少なくともあの頃はこんなにも蒸し暑くはなかったような気がする? 残念ながら、そんなことさえもはっきりと思い出せない程に昔の話。それでもその時の具体的な光景さえもはっきりと思い出すことが出来ることもいくつかある不思議。そして、しかもいつの日もそれはひとつのアニメーションのようでもある。

一方肝心のアニメ蟲師制作の方は、全てがギリギリのスケジュールの中で、それに関わる全てのスタッフが各パートで死力を尽くしている模様。中でも美術の脇さん制作の背景画の美しさに感嘆。そしてぼくもそれに刺激されて、今日はひとり事務所で蟲師の件も含めて、自身の作業に明け暮れる。

そしてまたしても、現在千葉君が滞在中の沖縄に台風が近づいてきている。どうやら千葉君も那覇で足止め状態。そんなわけで一人で退屈だろうしせめて美味しいものでも食べてと、ぼくのお気に入りの沖縄料理屋さん「古都里」を薦めてはみたものの、やはり撮影の方が心配。
それにしてもこうやって季節の歯車が狂ってくると、それにつられるように他のことまで狂ってくるから要注意?(of couse,include me)

夜の虫さえも戸惑う程に、昼間はまだまだ夏そのものの秋よ来いの空。@代官山

今日から9月。そう思うと本当に一年は早い。とはいうものの冷静に今年になってからの出来事を回想してみると、この実感している時間の早さとは反比例して、次から次へと季節の移り変わりと共に様々なことが転換していったことを思い出す。自身の出来事はもちろんのこと、やはり気になるのは先日嬉しい手紙をもらったロバート・フランクさんの足の具合だったり、京都の山村さんの体調だったり。人が老いていくことは誰にも止めることが出来ないけれど、その人生における時間の積み重ねと、この日常の時間軸での時間の流れが、同じ時間として感じることが出来ない不思議。そして今はただ、元気になって欲しいと願うばかり。

涼しくなったと思っていたけれど、今日は夏っぽい蒸し暑さがまたしても戻ってきた。昨晩は京都から宮川さんの甥っ子の一平君が出て来たこともあって、初めての人も混じっていつもの「豚鍋研究室」。そんな最中、清野さんより嬉しい報告。今後どうなっていくは別にして、何となくではあるものの全てのやりとりが実感のない場所にもかかわらず、不思議とあたたかい印象を受ける新しいコミュニケーションの予感がする。それは、その席でも話題になっている「I LIKE TODAY」な出来事。多謝。
とにかく、こうなるとぼくも本格的にキャンペーン体制を組むことになる。(笑)

現在事務所では、先程この蒸し暑い空の下での撮影を終えた田尾さんが帰ってきた。お疲れさま。そして目の前では、先程秋葉原に行って戻ってきた徳重さんがPCをバラバラにして格闘している。さしずめ「電気や徳ちゃん」な感じ?  頑張れ!

八月が終わって九月になって、時間の早さを感じながら、同時にその中で季節の移り変わりを感じてもいる。それでもまだまだピンとこないセプテンバーな空。@中目黒

December 2017

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