October 2006アーカイブ


20061031.jpg

早いもので、今日で10月も終わり。
どうやら世の中は、ハロウィンらしいけれど、
そんなものは、それこそぼくにはピンとこない。

そんな10月最後の火曜日に、
個人的には、ものごとが一気に動き出してきたことを実感。
その感じは、今まで続けてきたことが、
ここへ来て、ひとつひとつの出会いによって、
紡がれるように結びついた”かたまり”のようなもの。

それでも、それらの具体的なすがたははっきりしないけれど、
”はじまった”と、実感できることがうれしい。
果たして、それはどんな風に展開していくのかも含めて、
どうやら、そんな未来を思い描くことが出来たときに、
はじめて、過去と、この現在という今を、
知ることが出来るのかもしれないなー?

なんて思った、明日から11月。
そして、10月最後の空。


気が付けば、またしても深夜。
今日は、先程まで次回の「写真がもっと好きになる」
”写真を観る”編で話をする予定の
スティーグリッツの写真と、オキーフの画集を
何度も何度もめくりながら、あれこれ。

それにしても、何とうつくしいスティーグリッツの
空の写真。そしてオキーフの写真。

しかも、秋の夜長にとてもよく似合う。
きっとそこには、あたたかいものがあるからかも?

今日は、予報に反して一日中
気持ちのいい青空が拡がっていた。

それにしても、いつまでたってもうまく写らないぼくの空。


20061025.jpg

今日は、朝方こそ雲があったものの、
一日中、青い空が拡がっていた。

しかし温度のせいか、それともこの風のせいか?
その高さの感覚がとても不確かな空。

こんな風に、高いのか、低いのか、
はっきりしない空というのは、
こんなにも晴れやかでも、ちょっと不安感があるから不思議なもの。

それはまるで、ミステリー映画の中の青空のようで、
何ともつかみどころのない、紺碧な今日の空。


GigapixelCamera.jpg

こんなことしている場合ではないのに、、、
今日、玄さんに教えてもらった
Gigapixel Project」というのが、面白かったのでご紹介。

ここの紹介されている写真は、
すべての特注の「一億万画素カメラ」で撮影されたもの。
開発者は、あの世界を圧巻した
Google Earth」の開発者でもあるMichael Jones氏。

とにかく、このカメラ、
”写す”ということに関しては、すごく写っている。
だからこそ、余計に”写す”という意味を考えたりもする。

そのあたりは、また時間があるときにゆっくり考えるとして(笑)
今は、ちらっと楽しんで、ということで。


20061024cosmos.jpg

それにしても、一気に冷え込んできた。
しかも、ものすごい風。

これでは、幹の細い秋桜など、たまったものではない。
その姿を見ながら、先日は紅葉のためにも、
この雨は好都合と書いたけれど、
紅葉がちょっと心配になった。

それもこれも、現在、紅葉の原稿を書いているからかも?


20061023.jpg

昨夕から、久しぶりの雨。
そしてこの雨は、おそらく紅葉のためには好都合。

そして今日は、長らくお蔵入りになっていた
あの「湿板大ガラス」を、みんなに手伝ってもらって
事務所内に再展示。多謝。

外は雨。にもかかわらず、
そこにはあたたかい光があって、
それだけで何となくホッとする。

そしてその光の中で、新しい話が生まれていく。
何だか、楽しいことが起きそうな秋雨の空。@中目黒


20061022newmoon.jpg


やっとの思いで、何とか終了。
というのは、仕事ではなくてMacの初期化。
そんなわけで、これより事務所でお仕事。

しばらく青い空が続いていたけれど、
昨日、空から雲が降りてきたいうな感覚があったけれど、
今日はその雲が、そのまま地上で休んでいるみたい?

その割には、まだ乾燥している感じがするから、
そんなことでもないみたい???

それにしても、日が落ちるとめっきり寒くなった
再生の土曜日の空。@横浜


Norwaymountain.jpg

これが先日、奈良に行ったときに
「ノルウェーの山に似ている!」と思ったノルウェーの山。
そして、この山の中腹に、ぼくが撮影した
スタイルハイムの滝という、大きな滝がある。

こうやって見てみると、
かたちは全く同じではない。
それでも、その現れ方とか、有り様は、
驚くほどに、似ていた。


20061016_yama.jpg
at Murou,Nara


昨日今日と、久しぶりの奈良。

およそ15年前、三輪山あたりをウロウロしていたぼくがいた。
そこで見つけた”水の景色”。
そして勝手に、「きっと、ここではこんな光景が見えるはず。」
と思いこんで、彷徨っているうちにそんな光景が写った不思議。

それから長い時間が過ぎてしまったけれど、
そこには、そんな時間の隔たりを超えた
”その続きの光景”があった。

どうやら奈良という土地には、
まだまだ目に見えない世界がたくさんあるような気がした。
しかも、そのことはとかく歴史的に語られる場合が多いけれど、
少なくとも、ぼくにとってはもっと
”あたたかいところ”として、存在していた。

詳細は、また追って。
とにかく、時間を超えた”続き”が
見つかったことをご報告。


20061016_ryuuketsu.jpg
at Ryuuketsu,Nara

20061016_susuki.jpg
at SoniKougen,Nara


20061013_sususki.jpg

この写真は、残念ながら今年の写真ではない。
それでも、写真というのはおもしろいなーと思ったので
ここに、こうやって載せてみた。

それというのも、もちろん季節感も考えてのことではあるけれど、
この写真は、本日更新された「写真がもっと好きになる。」の中で、
露出の説明をするために、作例として載せたもの。

にもかかわらず、その更新されたページを自分自身で見ていて、
驚くほど客観的に、
「あ〜、すすきだ〜!、また仙石原行きたいな〜!」と思った・・・
これって変ですよね?
だって、自分で撮って、自分で選んで、自分で書いて、
にもかかわらず、そんな風に思ったのがちょっとおもしろくって。

それに、ここのところ映像の編集の仕事が続いていて、
昨日は、11月に発売される「蟲師 特別編集-蟲往来-
というDVDの中に収録される、
エンディング集の最終編集を編集スタジオでやっていた。
これは、毎回ぼくが全26話に対して、
2枚の写真で構成していったエンディングを
一気につないで観ていただこうというもの。
それらを観ていたときも、このススキの写真と同じように、
そのすべてが、各話に対してぼく自身が選んで
構成したものなのにも関わらず、
同じように、とても客観的にそれらを観ている自分がいた。
だからといって、決して冷めているわけではない。
もしかしたら、他の誰よりも楽しんでいるのかも?

よくわからないけれど、なかなか自分で自分の写真なんて
コメントしづらいものだけど、
少なくと、そこには原作とはまた別の
「もう一つの蟲師」があったことは確か。

それにしても、やっぱりススキってきれいだなー、と。


20061009.jpg
13:26 Yokohama

今日は「体育の日」、といっても
もともと「体育の日」というには10月10日なので、
何となくピンと来ない。
成人式にしてもそうだけど、連休にするためとはいえ、
祝日が、こうやってコロコロ変わるのには、
以前から、ちょと疑問?

それでも今日は、体育とはほど遠い一日ながらも
気持ちのいい青空が拡がっていた。

近所の柿もすっかり橙色になってきたし、
庭先のミカンの実も、色付き始めてきた。
”秋分の日”が過ぎて、
”中秋の名月”が過ぎて、いよいよ秋。

そして未だに、その理由がはっきりしていない
”紅葉”という、植物たちのドラマが始まる。

そういえば、今日の夕暮れも、
流れる雲を追いかけながら、
そんな風の中にも秋の匂いがした、今日の空。@横浜


20061008_MacBookKuro.jpg

今日は、もともと友人宅で編集作業をする予定だったけれど、
その友人に、急ぎの修正作業が入ってしまったので、
ぼくの作業は、少々延期することになった。

そんなわけで、久しぶりにお休み。
ゆっくり起きて、近所をお散歩。
そんな感じで余裕をかましていたら、
何だかんだとやり残しているいろいろがあることが発覚。

結局、せっかくのお休みだというのに、
いつも以上にMacに向かっている時間は長い。。。

そういえば、よくカメラは何を使っているのですか?に混じって、
Macは何を使っているのですか?というメールもいただくので、
だったらたまにはと、最近愛用の「MacBook Kuro」をご紹介。

そんな日曜日、
近所の畑には、秋キャベツがいっぱいだった。

20061007.jpg

すでに日は変わってしまったけれど、
今日は、昼間から気持ちのいい青い空。
しかも、嵐が去ったとだけあって、
とても透明度の高いまっすぐな光が降り注いでいた。

夕方、帝国ホテルにおいての打ち合わせを済まして、
駐車場に戻ると、ビルの狭間からポッカリと満月。
すぐ下を、新幹線が走っていて、
その光と混じって、目の前にはとても不思議な光景。
(でも、その感じがうまく撮れていない・・・)

中秋の名月は、昨日だったけれど、
ぼくのデスクトップにある、Google Moonによると、
昨日は99%で、今日が100%!

20061017_moon.jpg

そして、そんな満月の空の下、
久しぶりに、旧友の大久保さん主宰の屋上パーティーに顔を出す。
考えてみたら、大久保さんとStudioVoiceをやっていたのは、
もう20年近く前のこと。
当然、ぼくも含めて、みんな歳をとったかもしれないけれど、
変わっていないものも、たくさんあることを知ったような?

それがいいのか悪いのかはわからないけれど、
”変わるということ”の大切さとと、
”変わらない”ということの大切さが、
何となく少しわかったような夜だった。

それにしても今日のような満月というのは、
やっぱり、大きな力を持っているのかもしれない。


このページは、9月22日に書いたもの。
実はこの日、長い間ぼくの担当をしてくださった
フジフイルムの長坂さんが、
43歳の若さで、この世を去ってしまった。

悲しいのはもちろんのこと、悔しくて、
そんな時に、勢いに任せて書いてしまったので、
当然、読めたもんではないほどのひどいテキストだった。
さすがに「こりゃ、だめだわ。」と一度は下げたものの、
そのたった数時間の公開中に、
多くの人が、それを読んでくれたみたいで、
多くの問い合わせメールをいただいた。

あの日が新月で、今日が満月。
しかも今日は、中秋の名月。
とはいっても、こんな天気では月なんか見えるわけもない。
それでも、新しいことが始まって欲しいと願って再更新。


2006年9月22日

今日は、きっと秋晴れと思っていたのに、
一日中、曇り空。
そんな空の下での撮影を終え、
移動途中に、とてもかなしい知らせが届く。

だからというわけではないけれど、
昨日よりずっと聴いている、
とても新しい解釈のゴールドベルグ変奏曲が
いつも以上に、強い説得力を持って聴こえてきた。

今日、ぼくが聴いていたのは、
グールドの再来などといわれている
若きピアニスト、マルティン・シュタットフェルト氏のもの。

彼の演奏するゴールドベルグ変奏曲は
ある種、とてもアイデアに満ちていて、
かの音楽の父・バッハが生み出した、
音の構成は、とても単純ながらも、
次から次へと生み出される美しい旋律に束縛されることなく、
どちらかというと、この曲で自然と生まれてくる
美しい”響き”に、焦点を絞ったかのような演奏。

具体的には、おそらく彼は、その”響き”のために
1オクターブあるいは2オクターブ上の倍音を、
時折、混ぜ合わせながら演奏する。
そのある種、とても乱暴な方法論のせいで、
当然のことながら、グールドのそれとも一線を画している。
少なくともぼくは、こんな演奏を聴いたことがない。

しかし、ぼく自身もハッと思ったほどに、
今となっては、無類のグールド好きのぼくの耳であっても、
とても自然に聴くことが出来ていた。
だったらと、今一度もう少し真剣に聴いてみると、
やはり、そこにはいくつかの発見があった。

ぼく自身も、何度となく繰り返し聴いている
グールドのゴールドベルグ変奏曲は、
彼がデビューした1955年と、
そしてこの世を去る一年前の1981年の二回にわたって、
録音されている。
もちろんどちらもが、とても秀一な演奏であることはたしか。

そして改めて、このマルティン・シュタットフェルトの演奏を聴いていると、
やはりそこにも、演奏スタイルこそ違うものの、
グールドのデビューアルバムと同じような若さがきちんとあった。
それは荒削りながらも、何だかやけにキラキラとした若さというか、
何としても前に進もうというよな、とても強い力のようなもの。
特にアレグロに至っては、ある意味ではグールド以上に
まるで、スピード狂のように飛ばしまくる。

なんて書いていると、まるで音楽評論家のようだけど、
もちろんそうではない。(笑)

ずっと思っていたことではあるけれど、
今日、突然こんな話を書き始めたのには、
もちろん”悲しい知らせが届いた”ということもあるけれど、
それには、もうひとつ大切な理由がある。

今回のように、同じゴールドベルグ変奏曲を演奏しても
これだけ違う印象の演奏が成立することと同じように、
実は、クラシック音楽を演奏するということと、
写真を撮るということは、
とても似ているところがある。

それというのも、クラシック音楽において、
演奏する以前の問題として、”そこに楽曲がある”ということと、
写真においても同様に、どのような写真を撮るのかの前に、
”そこに被写体がある”ということは、
ある部分においては同じことなのでは。

そんな時に、ぼくがふと思ったのは、
本当に”あたらしいもの”とか、
”あたらしいということ”といったものは、
いつの日も、ただの真新しさからは生まれていかないということ。
当たり前のことなのに、ついつい忘れがちな今日この頃。
それは、きっと写真だって同じこと。

そして、今回紹介する2枚のアルバムは、
このシュタットフェルトはもちろんのこと、
もともとは、グールドのゴールドベルグ変奏曲だって、
発表当時にしてみたら、きっと今以上に”あたらしい”ものだったはず。
そういう意味では、シュタットフェルトの演奏は、
もちろん、現時点ではその答えは出ていないけれど、
少なくともグールドの演奏に至っては、
発表当時は、あれだけ変人扱いされたにもかかわらず、
今となっては、天才という称号を持ったひとつの金字塔。
しかも驚くことに、未だに商品としても、
前代未聞の発売枚数を誇る定番中の定番。

やっぱりそうだよなー、それでいいんだよねーなんて、
ゴールドベルグ変奏曲を聴きながら、
今日は、ちょっとそんなことを改めて思った。

そして、この二つのゴールドベルグ変奏曲には
もうひとつ興味深い話が、これらのアルバムには含まれている。
それは、あのグレン・グールドだって、
最後まで、”あたらしいもの”を作ろうとしていたことの証明のように、
彼は1981年の録音の際に、当時としては、もっとも新しい技術だった
デジタル録音にて、その最後のゴールドベルグ変奏曲を録音した。
ところが、当時のエンジニアたちは、
今以上にデジタル録音を信用していなかったようで、
バックアップで、アナログ録音もやっていた模様。
(もちろんグールドには内緒で・笑)

それが2002年になって、そのアナログテープが出て来て、
そしたら今度は、最新のマスタリングの技術を駆使して、
それこそ”あたらしいもの”として、リリースされた。
しかも、そのCDの音を聴く限りにおいては、
驚くことに、他のどの盤よりも新鮮で瑞々しい音が、
そのCD盤には、しっかりと刻まれているような気がする。

そして今日、本当に話したかったことは、
きっとこんなことではないけれど、
それでも、きっと今日が新月だから?
やはり、そうやって正々堂々と、時には試行錯誤を繰り返しながら、
だからといって、”こだわり”なんていうことにとらわれないで、
”あたらしいということ”が
始まって欲しいと思ったので、始まるような予感がしたので。

そしてそのすがたは、時に安らかに、静かに、ゆっくりと。

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20061005.jpg

外は、台風の影響か?
秋雨なんてかわいらしいものではなくて、本格的な雨。
それにしても、寒くなってきた。
どうやら巷では、体調を崩しているとも多いと聞く。
そんなことさえも、妙に納得してしまう今日この頃の天気。

今日は、先日インタビューを受けた
「ほぼ日手帳2007」のページが更新されたこともあって、
多くの友人、知人から「見たよ〜!」メールが届く。
大学の同級生に至っては、電話までしてきた。(笑)

それにしても、顔がむくんでいる・・・
たしか、あの日は朝まで映画を観ていたような?
そして「ほぼ日手帳」を見てみると、
やはり!William Egglestonの原稿を書こうと写真集を観ているうちに、
アメリカンニューシネマを思い出して、
あの「タクシードライバー」を監督したMartin Scorses監督が、
最近続けざまに撮った二本の音楽映画、

ボブ・ディランのドキュメント映画
ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム

ブルース生誕200年イベントのドキュメント映画
ライトニング・イン・ア・ボトル

を一気に観ている。。。

それにしても、こんなのでよかったのでしょうか?(苦笑)

そんなことを書いていたら、今日も何か観たくなってきた。(笑)
雨も降っていることだし、そんなことしている場合じゃないのは
よーくわかっているけれど、
やっぱり頭の中は、「今日は何を観ようかなー」な空。@恵比寿


Planar80mm.jpg

昨日、待ちに待った待望のレンズが届いた。
そのレンズは、憧れのMapplethorpeが愛用していたこともあって
もしかしたら一番好きなカメラなのかもしれない
Hasselblad用の標準レンズ。

中でもこのレンズは、1959年から二年間だけ製造されたという代物。
まだ来たばかりで、使いこなしていないので何とも言えないけれど、
評判では、いわゆる”名レンズ”というわけではなくて、
どちらかというと、賛否両論あるレンズ。
それでも、何となく?ぼくはいいような気がして、
ずっと、このレンズを探していた。
このレンズの、外観の最大の特徴は、
こうやって、美しく球状に迫り出した前玉のかたち。
そして面白いのが、ハッセルの数ある80mmの中で、
この初期のレンズだけが6枚構成だということ。
その後の標準レンズ(80mm)は、すべて7枚構成になっている。
ということは、どうやらこのレンズがたった二年間しか作られなかったのも、
そんなところに理由があるような気がしてならない。
時代背景を考えてみても、徐々に上質のガラスが姿を消していった頃。
しかも、このような形状の前玉を持ったレンズはその後は一切作られていない。
だからというわけではないけれど、きっとそのレンズの性能もさることながら、
これだけの球状を磨き上げるのにふさわしい
ガラスの入手が難しくなったのかもしれない?
なんて、勝手に思いを馳せている。

何はともあれ、このレンズがどのように光を集めてくれるのかが、
今からとても楽しみ。

まずは、あまりにもその球状の前玉がきれいだったので。


早いもので、今日から10月。
そんな10月最初の日曜日は、一日中シトシトと雨。

そしてそんな雨空の下で、ぼくはまたしても
次のほぼ日の連載のために
「ウイリアム・エグルストン」の写真集を、
繰り返し観ていたことも手伝ってか、
気が付くと、写真にまつわるいろいろを考えている。。。

そして時折、今日のように「何でなんだろうー?」なんて
思ってみたりもする。
こうやって、多くに人々がぼくの写真を観てくれるようになって、
写真というのが、コミュニケーションのためにあることも
よーく、わかってきた。
それがよくわかってきてから、
ぼくは、ますます写真が好きになっているような気がする。
だからなのだろうか?
もっといい写真が撮りたいと思うし、
目の前にあるいろいろから、何かを見つけたいと思っている。
そして、そこから生まれるいろいろに思いを馳せている。
とにかく、その為にも傲慢にならずに、
時には謙虚に、ものごとと向かい合っていたいと思っているみたい?
そして何よりも、きちんと楽しいことが一番ですよね。

あれっ? 今日は、何だか自問自答のような内容になってしまったけれど、
それもこれも、この秋雨のせいということで。あしからず。

それにしても、雨というのはなかなかうまく写真には写らないもの・・・

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