September 2015アーカイブ


20150921 10:00 Miyakejima Tokyo


先週の連休、「東京観光写真倶楽部」の島撮影会で三宅島に行ってきました。
しかも三宅島での撮影会は今回で2回目。
6年前の最初の三宅島での島撮影会は、2009年3月。
2000年の噴火の後、2005年には全島避難も解除され、
観光客の受け入れも再開したものの、なかなか・・・
というニュースを聞き、だったらぼくたちがと観光に趣きました。
その時の雄山は、まだ噴火の傷跡が大きく、
頂上付近の世界は、溶岩石の黒一色の世界でしたが、
この6年で、山に緑が戻って来ている美しいすがたがありました。
それがとてもうれしかった。。。

そんなぼくたち「東京観光写真倶楽部」は、
その三宅島の撮影会に始まり、今では小笠原諸島をのぞいた
東京諸島全島において、撮影会を行ってきました。
そして来年2016年には、創部10周年を記念して、
伊豆大島にて写真展「わたしの東京諸島」を開催します。
近日中に、その「わたしの東京諸島」展に向けて、
特設ページが開設される予定です。

今週は、その予告編のような。
ちょっとおもしろくなりそうです。お楽しみに。

それにしても今回の三宅島撮影会はいろいろありましたが、
やはり島撮影会はいいものですね。

helsinki.jpg

ヘルシンキ駅にて

先日、フィンランドを代表する作曲家シベリウスの
"Andante Festivo"という曲を紹介しましたが、
ぼくもあれからずっと、何度もシベリウスを聴いています。

そしてあらためて確信したのは、
その世界の中にある"光"の有り様。
それは、シベリウスの音楽全体的に言えることですが、
明らかに、陰の中から光を見つめているかのような音楽。
もちろんそれは、シベリウスだけに限ったことではありません。
大好きなトーベ・ヤンソン作の"ムーミン"も同じように、
陰から光を見つめているかのような物語とも言えるようなお話し。
現に、トーベ・ヤンソンの初期の原画には、
実際にそのようなシーンそのものを描いているものが多くあります。
そして、それらはすべて"あたたかところ"へ
向かっているかのような印象そのもの。

考えてみたら、ぼくが2000年に湿板写真という新たな方法を手にして、
奄美の木漏れ日の撮影が始まったとき、
いみじくもぼくはその「湿板写真プロジェクト」を
"The Light insight from The Shade"と名付けました。
そして、奄美大島の田中一村記念美術館において
「あかるいところ」というタイトルで写真展を行いました。
そして今も、津軽での撮影を繰り返しながら、
ぼくなりの「あたたかいところ」をさがしています。

ぼくにとって北欧というところは、
20代の頃、何度も訪れる機会があったこともあって
大好きな場所のひとつであると同時に
そこにある光に対して、そして色彩に対して、
とても純粋なところという印象があります。


finland_book.jpg


そして先日、初めてのフィンランドをご一緒した武井さんが
フィンランドのおじさんになる方法。」という書籍を上梓しました。

大好きだったこの連載も、こうやって書籍になると、
やはりあらためて、とてもあたたかい印象がありました。

それにしてもフィンランドという国は、
独特のはげしさもありながらも、
つくづく魅力的なところですね。



tsugaru002.jpg

津軽2 青い池

〝青池〟。縄文時代に形成されたというブナの原生林の山奥に、その小さな池はひっそりとその美しさを湛えている。
 なぜこの池は青いのか──どうやら地下水の下に眠る深層水による影響らしいということくらいしか解明されておらず、いまだその真相は定かではない。
 ぼくがその青池を初めて訪ねたのは朝だった。前日まで大雨を降らせた雲が上空にまだ残っていて、湿度も高かった。そんな曇り空の下でも青々と輝く青池をぼんやりと眺めていた。
 湖畔で三十分ほど佇んでいただろうか。空が明るくなってきたと思ったら、突然雲間から日が差し込んできた。その光が木漏れ日となって湖面に降り注ぐと、驚くことにその場所だけにふわっと靄が立ち現れた。その靄は、光の動きに反応しながら、まるで意思をもっているかのように動き回り、日が陰ると、ふっとその姿を消すのである。
 私たちにとって光というものは、たとえば眩しいとか熱いとかいったことで感じることはできても、具体的なかたちとして、光そのもののすがたを視覚認識することはできない。
 しかしその時は、光が〝靄〟をまとうことで、そのすがたをこの世に表したのだ。幸運にもその日は、日が出るたびにそのすがたを現し、動き回るということを何度も繰り返していた。
 この光景は、まるで森の中にある小さな劇場で映画を観ているかのようだった。ぼくは息をのみながら、ただひたすらその光の円舞に魅入っていた。水面に落ちたブナの枯れ葉も、青い透明な水の上を舞う光とともに、金色に輝いていた。
 偶然だったのかもしれないが、先ほどまで聞こえていた鳥のさえずりも虫の音も止み、この光の円舞は、音のない世界の中で展開されていた。ぼくが目にした水と光が織りなすサイレント劇場は、特別な光景だったのだろうか。
 きっとそうではないと思う。たとえ観客がいなくとも、こうした夢のような光景は、日々少しずつ表情を変えながら日常の風景として積み重ねられているに違いない。この池の青い色も、ごくあたりまえの青で、だからこそぼくらにとって特別な青なのだ。


そして、この時の青池との出会いから、
あの『蟲師ー続章ー』のオープニング映像が生まれました。




Jean Sibelius conducts "Andante Festivo" in 1939


フィンランドを代表する作曲家シベリウス。
フィンランドというところには、ぼくの好きなものがたくさんある。
昨年訪れたときには、ちょうどあのムーミンの作者
"トーベ・ヤンソン"の生誕100周年の展覧会をやっていたこともあって、
あれから、あちらの方がずっと気になっています。
それこそ、現在幾度となく通い撮影中の"津軽"にも通じるものがあるような。

先日、ここのところすばらしい演奏を繰り返している
N響のベートーヴェンを聴きに行きました。
そのアンコールで演奏されたのが、その日の指揮者が、
ヨーン・ストルゴーズというフィンランド出身の方ということもあって、
シベリウスの"Andante Festivo"という曲。
ぼくはこの曲を、その時に初めて聴いたのですが、
本当にすばらしかった。。。

前半のピアノ協奏曲の後に演奏された
アリス・紗良・オットさんのシューマンもよかったですが、
実はここのところ、ぼくはシューマンに執心で、
そんなシューマンや、アリスさんや、
大好きなムーミンの話はまた後日。

今週もいい一週間になりますように。

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