津軽2 青い池
〝青池〟。縄文時代に形成されたというブナの原生林の山奥に、その小さな池はひっそりとその美しさを湛えている。
なぜこの池は青いのか──どうやら地下水の下に眠る深層水による影響らしいということくらいしか解明されておらず、いまだその真相は定かではない。
ぼくがその青池を初めて訪ねたのは朝だった。前日まで大雨を降らせた雲が上空にまだ残っていて、湿度も高かった。そんな曇り空の下でも青々と輝く青池をぼんやりと眺めていた。
湖畔で三十分ほど佇んでいただろうか。空が明るくなってきたと思ったら、突然雲間から日が差し込んできた。その光が木漏れ日となって湖面に降り注ぐと、驚くことにその場所だけにふわっと靄が立ち現れた。その靄は、光の動きに反応しながら、まるで意思をもっているかのように動き回り、日が陰ると、ふっとその姿を消すのである。
私たちにとって光というものは、たとえば眩しいとか熱いとかいったことで感じることはできても、具体的なかたちとして、光そのもののすがたを視覚認識することはできない。
しかしその時は、光が〝靄〟をまとうことで、そのすがたをこの世に表したのだ。幸運にもその日は、日が出るたびにそのすがたを現し、動き回るということを何度も繰り返していた。
この光景は、まるで森の中にある小さな劇場で映画を観ているかのようだった。ぼくは息をのみながら、ただひたすらその光の円舞に魅入っていた。水面に落ちたブナの枯れ葉も、青い透明な水の上を舞う光とともに、金色に輝いていた。
偶然だったのかもしれないが、先ほどまで聞こえていた鳥のさえずりも虫の音も止み、この光の円舞は、音のない世界の中で展開されていた。ぼくが目にした水と光が織りなすサイレント劇場は、特別な光景だったのだろうか。
きっとそうではないと思う。たとえ観客がいなくとも、こうした夢のような光景は、日々少しずつ表情を変えながら日常の風景として積み重ねられているに違いない。この池の青い色も、ごくあたりまえの青で、だからこそぼくらにとって特別な青なのだ。
そして、この時の青池との出会いから、
あの『蟲師ー続章ー』のオープニング映像が生まれました。