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20151231 16:22 Zaimokuza Kamakura


あけましておめでとうございます。

毎週月曜日に「週刊菅原一剛」のように更新しようと思っていましたが、
年末の慌ただしさにかまけて、またまた久しぶりの更新となってしまいました。

それにしても、この2015年から2016年
平成27年から平成28年への年末年始は、
例年以上に穏やかな気候と共に、穏やかな日々。

大晦日は、本来であれば、生で観たかったのですが、
シルヴィ・ギエムの最後のボレロをテレビで観ながら新年を迎えました。
そして、終わると同時に近所からは除夜の鐘が。
ぼくが彼女のバレエを初めて観たのは、
1986年か1987年のパリオペラ座での公演。
それ以来、ぼくはバレエ好きになりました。
年末も、ギエムの引退公演はもちろんのこと、
一人で、マリンスキー劇場の公演を観に行きました。
しかも演目は「ロミオとジュリエット」(笑)
今回初めて観たクリスティーナ・シャプランさんもすてきでした。
そして間もなく、あのロパート・キナのドキュメント映画が上映されるなど
しばらく気になるバレエも続きます。

そして、ここ数年すっかり恒例となっている年末の「第九」。
個人的にも日本では年末になると「人類はみな兄弟」と唄う
ベートーヴェンの第九の演奏会が定番というのは、
それはそれでわるくないかもと思っています。
しかも今回は、昨年より年間会員にもなっているN響の第九。
指揮は、今シーズンより首席指揮者となったパーヴォ・ヤルヴィさん。
今や世界的な指揮者でもあるヤルヴィさんのベートーヴェンを
個人的にも、とても楽しみにしていたのですが、
予想に違わず、とてもすばらしい演奏でした。
派手さはないのですが、とても端的で知的な構成、
だからといって、けっしてつめたい演奏ではなく、とてもあたたかい響き。
とにかくN響というオケも生き生きと躍動していました。
変な言い方ですが、シャープさもありながら、
その中にトーンとしての温度もしっかりと存在しているかのようで、
それはまるで、レンズでいえばズミクロンのような演奏。
そして、その演奏の中から、今という時代のいろいろを感じました。
それはヤルヴィさんがウクライナ出身ということもあって、
より平和への願いが強いのではないでしょうか。
そして、そんな風に感じたのは、もしかしたらそんな年末の慌ただしい最中に
ぼくが樺太に行って来たから、余計にそのように感じたのかもしれませんね。
いずれにしてもヤルヴィさんも、樺太も、
ぼくにとっては、とても大きな出会いとなりました。
とにかく今、ぼくの中ではいろいろのことが大きく呼応しています。

ズミクロンといえば、これまた年末のお忙しい中、
「FOTO MUTORI」の木村さんが見つけてくれたレンズを
田鹿さんが調整してくれるといううれしい連携で、
Rマウントのズミクロンをニコンマウントに改造してくれました。
しかも、田鹿さんの調整は、純正以上かもと思えるほどのすばらしい仕上がり。
それにしてもこのコンビの存在は、ぼくにとってとても大きな存在。

なんだかんだと書き始めるといろいろありますが、
実はこうやって、Macを開いたのは久しぶりのこと。
まだうまく説明することは出来ないのですが、
なんとなく、ネットであるとか、PCにも手が出なくて、
相変わらず、年末最後の仕事も暗室作業でした。
その後は、それこそ樺太に行くひとつの理由でもあった
宮沢賢治のことが樺太より戻ってきてから、ずっと気になっていて、
久しぶりに「銀河鉄道の夜」と「春と修羅」を
かなりしっかりと、読み直していました。

そして今日、箱根駅伝の往路をテレビ観戦した後、
なんとなくこちらも今年初めて手帳を開いて、
年明けより始まるいろいろを整理してみました。
おかげさまで、今年も正月早々、忙しい一年になりそうです。
その上、個人的に撮りたいもの、観たいもの、知りたいものが、
他にもたくさんあって(汗)

「今日の空」も、いよいよ15年目になります。
その空の下で、今年も光を追い続けていきたいと思っています。
本年もよろしくお願いいたします。


201510DOT_kita.jpg


「週刊菅原一剛」なるタグ付けで毎週月曜日に更新していましたが、
先週は、京都のギャラリーに在廊していたこともあってお休みしました。

そんな約2週間に渡って、京都・DOTにて開催された二人展も
本当にたくさんの方にお越しいただき、無事に終了しました。
ありがとうございました。
今回は、多くの時間を会場で過ごすことが出来たので、
ぼく自身にとっても、とても懐かしい友人や、お世話になった方々との再会、
そして、とても大切な新しい出会いもありました。

展示内容は、タイトル「北 KITA」とあるように、
ぼくは青森津軽の写真、そして高原くんは北海道の写真と、
共に、北国の写真であり、ぼくの写真に至っては地吹雪の写真も。
にもかかわらず、ぼくはその会場からずっと、
不思議と、むしろあたたかさのようなものを感じていました。

もちろんぼくは、ここ数年、いろんな意味でのあたたかさを
津軽の中から見つけ出しています。
そして、すこしでもそれをかたちにしたいと、
そんなぼくの中にある"ほんとうのこと"を信じてみたいと、
時に地吹雪の中にあっても、それを写したいと撮影を続けています。

オーナーの岡田さんとも、久しぶりにいろいろ話しましたが、
ぼくにとって、この「・DOT」という場所は、
いつの日も、大切なところだったことはたしかなようです。
考えてみれば、ぼくは何かあると、ことあるごとに、
必要以上に京都に来て、用もなく「・DOT」で時間を過ごして来ました。
それを許してくれた岡田さんにも感謝ですが、
「・DOT」で出会った、故・山村国夫さんも大きな存在でした。
もしかしたらぼくは、ここへ来てほんとうの自分を確認していたのかもしれません。
30年前に、大胆にも「・DOT」でのグループ展という機会を得て、
そこから、ぼくの写真家としての第一歩は始まりました。
その後、様々な人と出会い、様々な被写体と出会い、
もちろんそれらはすべて現在進行形ですが、
今こうやって、自身の写真はもちろんのこと、今まで続けてきた仕事も、
そのすべてがつながって今があると思えるのは、
もしかしたら、そのおかげなのかもしれませんね。

www.ichigosugawara,com

そんな「・DOT」というギャラリーは、
きっとぼくだけでなく、多くの人々にとって、
長い時間をかけて、あたたかいところとして存在しているのかもしれません。

京都というところは、なんといっても京都ですから、
個人的にも小学生低学年を過ごした土地ということもあり
大好きな場所のひとつではあるのですが、
どこかパリの街と一緒で、こと写真となると、いくら撮っても、
ただの"京都の写真"にしかならないような気がして、
あまりカメラを向けたことはないのですが、
「ちょっと撮ってみようかな」というような気になってきました。笑
というか、撮りたくなってきました。

はたして、どんな京都の写真が撮れるのでしょうか。


birthday01.jpg

先日、京都展にて、久しぶりに会った友人から
「これ、菅原さんの誕生日の本!」と、
1冊の文庫本をいただきました。

これは「未来屋書店」という本屋さんの企画で
同じ誕生日の作家が書いた本をセレクトして、
BIRTHDAY BUNKO」として特別のコーナーを作って
各書店で展開しているようです。

ちなみに、ぼくの誕生日5月26日の「BIRTHDAY BUNKO」は
まだ読んでいませんが、渡辺慧さんの「知るということ」という哲学書?

そして、その文庫をプレゼントしてくれた友人の誕生日は2月18日。
その日の「BIRTHDAY BUNKO」は
オノ・ヨーコさんの「グレープフルーツ・ジュース」という詩集。
この本は、1964年にわずか500部という限定本として出版され、
1970年に英語版が、そして1993年に33点の写真と共に復刻されました。
その後、現在に至るまで文庫として発売されています。

その22年前に復刻された本の中に、ぼくの写真も1枚入っています。
そのことを知らなかった友人は、
この本を奥さまからプレゼントされたそうなのですが、
ページを捲って、ぼくの写真を見つけて、たいそう驚いたとのこと。

そんなちょっとした偶然ではあるのですが、
このように、ひとつの企画によって立ち現れてくれた過去が、
今、こうやって新たな時間を生み出すこともあるのですから、
これはとても"うれしい偶然"でした。

そして、ぼくの写真の横には、

「呼吸しなさい。」


birthday02.jpg

helsinki.jpg

ヘルシンキ駅にて

先日、フィンランドを代表する作曲家シベリウスの
"Andante Festivo"という曲を紹介しましたが、
ぼくもあれからずっと、何度もシベリウスを聴いています。

そしてあらためて確信したのは、
その世界の中にある"光"の有り様。
それは、シベリウスの音楽全体的に言えることですが、
明らかに、陰の中から光を見つめているかのような音楽。
もちろんそれは、シベリウスだけに限ったことではありません。
大好きなトーベ・ヤンソン作の"ムーミン"も同じように、
陰から光を見つめているかのような物語とも言えるようなお話し。
現に、トーベ・ヤンソンの初期の原画には、
実際にそのようなシーンそのものを描いているものが多くあります。
そして、それらはすべて"あたたかところ"へ
向かっているかのような印象そのもの。

考えてみたら、ぼくが2000年に湿板写真という新たな方法を手にして、
奄美の木漏れ日の撮影が始まったとき、
いみじくもぼくはその「湿板写真プロジェクト」を
"The Light insight from The Shade"と名付けました。
そして、奄美大島の田中一村記念美術館において
「あかるいところ」というタイトルで写真展を行いました。
そして今も、津軽での撮影を繰り返しながら、
ぼくなりの「あたたかいところ」をさがしています。

ぼくにとって北欧というところは、
20代の頃、何度も訪れる機会があったこともあって
大好きな場所のひとつであると同時に
そこにある光に対して、そして色彩に対して、
とても純粋なところという印象があります。


finland_book.jpg


そして先日、初めてのフィンランドをご一緒した武井さんが
フィンランドのおじさんになる方法。」という書籍を上梓しました。

大好きだったこの連載も、こうやって書籍になると、
やはりあらためて、とてもあたたかい印象がありました。

それにしてもフィンランドという国は、
独特のはげしさもありながらも、
つくづく魅力的なところですね。



20110321.jpg


20110321 10:50 @Kawazu,Shizuoka


気持ちはあれからずっと北へ向かっている。
今すぐにでも、北へ向かいたい。

正直迷っている。
しかし今、こうやって言葉を吐き出すことが
この場所でも出来るようになったということは、
少しだけ整理がついたということかもしれません。

むしろそんなぼくの大好きな北の方から、
さまざまな報道やネットを通じて、
さかさまに大きな勇気をもらっています。

だからぼくも、この「今日の空」がそうであるように、
まずは、たわいもない日常の上に存在する光としての空を
これからも毎日に見続けて行くということ。
それは同時に、ぼく自身の日常をまっとうするということ。

そして近い将来その時が来たら、
日本赤十字社のスタッフとして、
まっすぐ北へ向かいたいと思っています。

その日まで、日常の光の中の温度を
これからも、ひとつひとつ紡いでいこうと思っています。

そんなことを、今日の空の下で思いました。


100227@Abashiri


昨年に続いて、基敦さんと共に流氷を追いかけて、網走にやってきました。
流氷の方は、20日前後に着氷したのですが、
その後、ものすごい勢いでここにも春がやってきて、
着氷していた流氷も、冬と一緒にどこか遠くに離れてしまったようです。

それでも、このあたりのサロマ湖や能取湖は塩湖です。
ですので、海の入り口より流氷が入り込んで来るようで、
まっ白な氷のかたまりが湖面に残っていました。
ぼくたちは、そんな流氷のかけらを毎日追いかけてみました。
その氷の上では、冬の光と春の光が交錯しています。

その光景が美しかったのはもちろんのこと、
そこに、とてもあたたかい光そのものを見つけることが出来ました。
どうやら、こうやってまっ白な光の中から、春という季節が始まっていくのですね。

そしてぼくは、そのあたたかい光がとても似合う、この網走という街が大好きです。

明日もまた、白い光をさがしに稚内に向けて北上します。
そちらは、まだまだ冬の中にあるようで雪が降っているようです。


20100207tsugaru (17)


青森での日曜日、今度は冬に来てみたいと思っていた
陸奥湾沿いの小さな街を訪ねてみました。

とてもおだやかで、とてもしずかで、
とてもあたたかい街でした。

久しぶりに「flickr」にアップしてみました。

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