日曜日はアンナ・ネトレプコ

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それは確か昨年の夏のある日曜日。
ぼくは横浜の元町に母を迎えに行くために車を走らせていた。偶然にもその日はあの有名なザルツブルグ音楽祭の生中継をNHK-FMが放送していた。生放送であることに驚きながら、何よりも次から次へと放送されるその素晴らしい演奏に魅了されていた。その中継の合間にアナウンサーの話題は、既に来年(現在では今年)の話をしていた。それは、あるソプラノ歌手が衝撃的なデビューを果たし、ヨーロッパにおいてもあっという間にその人気が高まり、何と今年のザルツブルグ音楽祭では、ほとんどのモーツァルトのオペラで主役を務めるとのことだった。その時は何となく聞き流していたので、すごいな〜と思っていたら、やがてラジオからは聞き慣れた「椿姫」のアリアが流れてきた。それは自身の愛聴盤でもある先日他界してしまったテバルディのそれとはまるで異質のもので、その歌声が美しかったのはもちろんのこと、その歌い手の動きさえもが不思議な程リアルに感じることが出来た。ぼくは思わず車を停めて、暫しその歌声に瞬く間に心奪われた。もちろんぼくにはオペラのその技術的なことはよくわからない。しかし少なくともぼくには彼女のその歌声が、今までぼくがオペラの世界で耳にしたことがない現代的な説得力と共に、改めて歌を聴くという当たり前のことを思い出させてくれたのは確かであった。思い起こせば、ぼくのオペラ初体験は1989年8月に故萩元晴彦氏に連れられてNewYorkCityOperaにてのプッチーニ作「La Bohem」。しかもその舞台は幸運にも、そこで印象的なmimi役を演じていたルネ・フレミングのニューヨーク・デビューでもあった。その後なかなかオペラを聴く機会はなかったが、数年前よりオーディオを始めてからマリア・カラスにはじまっていわゆるオリジナル盤の音に魅了されて、今では数十枚のコレクションがある。その中にももちろん大好きなものも多く存在するが、それでも彼女の歌声は衝撃的だった。ぼくはどうしてもその歌手の名前が知りたくて、次の日にNHKに問い合わせをした。彼女の名前は「アンナ・ネトレプコ」というロシア人。早速タワーレコードに走ると、驚くことに予想以上の美人! 完全に天は二物を与えた。しかも彼女は、あの有名なマリンスキー劇場の練習生だった時に、突然音楽監督のゲルギエフに大抜擢されてデビューしたというシンデレラストーリーも持ち合わせているとのこと。どうやら話題にはこと欠かさないようである。そして何と言ってもクラシックの世界では異例の老舗ドイツ・グラムフォンと長期契約を結び、その上マドンナのPVを作っているディレクターが自ら望んで彼女のPVを撮り下ろし、DVDまで発売されている。(もちろん持っている・笑)それどころか、それまでアナログ専用のシステムだった我が家のオーディオシステムにも、今では彼女のCDを聴くためにCDプレーヤーが用意されている。(笑)

前置きが長くなってしまったが、今日5月1日の日曜日はそんな彼女の日本における初のソプラノ・リサイタルが東京オペラシティーで公演された。もちろんチケットは半年程前、発売と同時に入手していた。しかもその日が仕事でないことを祈っての日曜日。そんな長い間楽しみにしていた日曜日の午後3時の開演に、彼女は遅れることなくピアニストのマルコム・マルティノーを伴って淡いピンクのドレスを纏って舞台に現れた。その彼女の第一印象は、嬉しいことに写真以上に可愛らしく、そしてその均整のとれた全身からはそのドレスのスパンコール以上にキラキラとオーラのようなものが漂っていた。そしてひと度歌い始めると、これもまたCD以上にその声は澄んでいてしかも説得力がある。何よりもその表現力に、そこに立ち会った観客のすべてが魅了されていった。演目はモーツァルトの「イドメネオ」のアリアに始まって、シュトラウスの歌曲等々。その観客の反応に彼女も呼応するように、徐々にその歌声にも磨きがかかってきた。その様は改めて音楽というものもコミュニケーションのひとつであることを図らずも目の当たりに証明していった。そしてすべての楽曲が終わると、ご覧のようなスタンディングオベーションと「Bravo!」の嵐。実は今まで、ぼくはこの「Bravo!」の感じが苦手であった。しかしそんなぼくも気が付くと「Bravo!」と叫んでいる。(笑)鳴りやまない拍手に、彼女は嫌な顔ひとつせずにアンコールも4曲程披露してくれた。少なくともぼくはクラシックのコンサートで、このような状況に立ち会ったのは初めてである。その上大満足で会場を出ると、ロビーにはあっという間に長蛇の列。何とあれだけの熱唱の後にもかかわらずサイン会があるとのこと。ぼくも半信半疑でその列に並んだ。その数は優に200人を越えている。するとやがてジーンズに着替えた彼女がロビーに現れた。ぼくはちょうど半分ぐらいのところだったけれど、彼女はここでも嫌な顔ひとつせずにひとりひとり丁寧にサインと握手を繰り返していた。ぼくの時も本人同様に可愛らしいサインと共に握手をしてくれた。そしてぼくの簡単なお礼と賞賛に対しても本当に嬉しそうな表情で答えてくれた。やはりこの人柄が歌にも現れているからこそこれだけ多くの人を魅了するのだと確信した。改めて彼女の大ファンになったのはもちろんのこと未来がとても楽しみになった瞬間でもあった。これからはマリア・カラスではなく、現在進行形のアンナ・ネトレプコと共にぼくのオペラは存在していくのだと思ったらそれだけで幸せな気分になる。今から来年日本で公演予定の「ドン・ジョバンニ」が楽しみ。きっとそれも日曜日なのかもしれない。 2005/05/01

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December 2017

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