イサム・ノグチという大地

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来る9月15日に、現在東京都現代美術館にて開催中の「イサム・ノグチ展」のレセプションに出席してみた。ここのところ何故か? このようなレセプションの招待状をよく戴くものの、何となく場違いなような気がして足が遠のいてはいたが、今回は何といっても「イサム・ノグチ展」である。ぼくは、今更ながら以前よりこの人のことがずっと気になっている。もちろん今までも、New York「MOMA」における展覧会をはじめ何度か氏の作品は観てきている。そして氏の大ヒット商品のひとつでもある「Akari」シリーズという和紙の照明器具は古くからの愛用品のひとつ。あのガラスのテーブルも、置き場所もないくせに何度も買いそうになった経験がある。(笑)
ぼくが「イサム・ノグチ」という作り手について、決定的に興味を持ったのはある人との出会いから始まった。それは15年程前に「仕事師、京に生きる。」という連載を担当していて、多くの京都の職人さんたちを取材させてもらっていた。その中で、今でも料亭「吉兆」などをはじめ多くの蹲踞(つくばい)の制作を手がける西村さんという石材師のところに伺った折に、話は「イサム・ノグチ」氏に及んだ。その先代が、氏の彫刻の手伝いをしていたときの話であった。当時一緒に手伝ってはいたものの、若かった西村さんは、その作品は全くもって理解出来なかったとのこと。しかしある岩盤の前に共に立って石を選定しているときに、ノグチ氏が何となく「あのあたり」といった場所から採石された石を見て、驚いたとのことであった。実はこの石の選定が一番難しい作業のひとつで、むしろこれで全てが決まってしまうといっても過言ではないそうである。それを一発で言い当てたノグチ氏に対して、西村さんはその時初めて「天才を見た」とおっしゃっていた。それはぼくにとっても、何より印象的なエピソードであった。
その時から、ぼくは「イサム・ノグチ」という作り手をいつの日も追いかけてきた。そしてひとつだけ解ったことがあるとするならば、その仕事の中における「無から生み出される美」というものに対しての一貫性である。しかもその美意識は、氏の全ての仕事において貫かれている。そしてそれらの全ては、この大地に起因していることが明確に示されているように感じる。だから余計に、その大地そのものでもある石の彫刻の数々はその中でも極めて秀逸だと感じている。
そんな「イサム・ノグチ」氏の仕事の原点とも言える「モエレ沼公園」が遂に札幌に没後17年の今年の夏に完成した。氏は残念ながら完成を待たずして他界してしまったが、学生時代に構想した「Play Mountain」というシリーズが、このようなかたちで成就したことは、やはり美術というもののひとつの幸福なかたちとも言える。いつか訪れてみたいと思っている香川県の「イサム・ノグチ庭園美術館」と共に、もう一つ「イサム・ノグチ」という偉大な作り手ゆかりの地が出来たことは、個人的にもまた楽しみが増えた。そして今回はそれを記念しての回顧展とのこと。残念ながら、東京都現代美術館におけるその展覧会は、石の彫刻も少なくそのロマンを語るには少々物足りないものの、少なくともその一貫した美意識を堪能することが出来る展覧会だった。

いずれにせよ、ますます「モエレ沼公園」に行ってみたくなった、そして改めて自身にとっても「イサム・ノグチ」氏という作り手が、この大地のように大切で大きな存在であることを知ることが出来た一日だった。

December 2017

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