ほぼ日刊イトイ新聞

今のぼくにとっては何よりも大きな勇気を与えてくれるコラムを見つけたので、ちょっとご紹介。

あの人気サイト「ほぼ日刊イトイ新聞」の中で、糸井さんが毎週月曜日に書いている「ダーリンコラム」というコーナーで、ちょっと興味深いことを書いていた。
というか、実は偶然にも、ここのところぼくも同じようなことを考えていたのである。それは読んでもらえば判る話だけれども、そこで糸井さんは「個人競技選手」と「団体競技選手」という例えで、自身の生き様に言及している。もちろん「同じようなこと」などと書くだけでも申し訳ない程に、これまでぼくとは比較ならない程に糸井さんは「個人競技選手」として、第一線で活躍されてきたのは承知の事実。
ここで自分のことに話を戻すと、先日何度も書いたようにNew Yorkの「Pace/Macgill Gallery」にて、敬愛するロバート・フランク氏などと共に展示した展覧会を観に行って思ったことのひとつに、「今まで続けて来て良かった!」という単純な喜びと同時に、実は写真を始めてから初めて、自信のようなものが持てたことだった。それまでのぼくは、その仕事に確信を持ちながらも、その結果に喜びはあったとしても、一度も自信のようなものを感じることが出来なかった。それは時に、自身の写真行為そのものもどこかで否定してしまうことにもつながる程に危ういことであるとも言える。それでもこうやって続けてこれたのは、偏に「いい仲間に恵まれたこと」と、苦しいながらも「自分に嘘をついてこなかった」ということに他ならない。
このようなひとつの頂点に近い場所に辿り着けたとき、特に写真作家のような個人的な仕事の場合は、おそらく普通であれば、より強いかたちで糸井さんが言うところの「個人競技選手」を意識することになると想像される。しかしぼくがその時感じていたのは、大いなる喜びの中で、不思議なもので、自分でも驚くことに、今まで以上に「団体競技選手」として出来る何かに向かっている自身の存在だった。もちろん、それは単なる共同作業ではなく、むしろ、だからこそ今まで以上に「個人」としての自分の有り様が大切なのだと思っている。
現に、今回展示した「湿板写真」にしても、もともとは沖縄における映画という共同作業の中で、撮影監督を務めたことに起因している。実は何においても、個人的な仕事も含めて全ては他者と関わる中で生まれている。今までも、そのことに自分なりには正直に対峙してきた。しかも気が付けば、今年で20年。ただ、ここへ来てそのやり方が変わってきた。
それはおそらく、ここで糸井さんが言っているような意識の変革なのかもしれない?

何だか、相変わらず上手く書けない。ただ一見矛盾しているように思うかもしれないけれど、このように考えることは、実は今まで以上に「個人」として、「自分らしく」自分本来のプレーをすることが必然となる。そしてその結果として、コミュニケーションという方法論の中で交わったとき、本当に「自分が自分であること」を認めることが出来るのだろうし、本当の意味での楽しみが生まれるのではないかと思っている。
とにかく今、とてもはっきりとしたかたちで、その姿が想像出来る。だから当然、やりたいこともたくさんある。そして、それをひとつでも実現するためにも、改めて「団体」のために「個人」を強く意識している自分がいる。

そういえば、今回の「アニメ・蟲師」のオープニングディレクターの仕事もそのひとつ。
その正直ながらも勝手な制作の結果、新たに生まれた「たった一枚の写真」から、その全ては生まれた。その上、今回に至っては、幸運にもアニメの「サウンドトラック」にもかかわらず、ジャケットも写真。そしてそのエンディングにさえも、写真が存在している。しかもそれは、驚く程に自然なかたちとして存在しているのがことのほか嬉しい。

もしかしたら、それもこれも「時代」というひとつの流れの中で生まれてきたものかもしれないけれど、少なくと写真家にとっては、幸せな時代だとぼくは感じている。


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そしてもう一つ「ほぼ日」ネタ。

というか、これもたまたまずっと気になっていることのひとつが紹介されていた。
中沢新一さんが「アースダイバー」というタイトルで、この東京を「垂直的な知性の冒険」として、縄文地図を手に導き出したひとつの杞憂な土地論のようなものを、どうやら糸井さんが中沢さんと一緒に「現在」という「日常」の視点から、その古代を垂直的な知性と共に散歩しながら、映像で探っていくという試みをされているとのこと。
う〜〜ッ、同行したかった!

ぼくも偶然にも、先に書いた映画「青い魚」で沖縄に関わってからというもの、奄美大島にしても気が付くと、見えるか見えないか解らないような、そこにある「光のようなもの」を追いかけている。そしてその中で必然として生まれたのが「湿板写真」でもある。
だからその琉球弧に脈々と流れるそれらが、東北はもちろんのこと、ここ東京にも確実に存在していることを知ることは、ぼくにとってもとても大切なことだと思っている。しかもそれを何とか、単なる懐古主義ではなく、現代という日常とつなげる作業をむしろ新しいこととして成立させることが、ひとつの目標でもある。そしてそれを信じることが出来たとき、ぼくはもう一度大きな安心感を持って、ここにいることが出来るような気がしている。しかもそれはおそらく縄文云々ではない、日本そのものなのではないかと勝手に想像している。


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