写真展 岡本太郎の視線

今日も東京は冷たい曇り空。

10数年前に、ぼくが映画「青い魚」で沖縄に出会ってから、
そこで見つけた”初めてのはずなのに、懐かしいと感じる何か”を
今でもずっと、心のどこかで無意識に追いかけている。
そして、やがてその思いは”東北”へと向かっていく中で
「ぼくにとって、沖縄と東北は同じ。」と思うようになってきた。
ある日、ひとりの友人が
「それ、岡本太郎さんも同じようなこと言っていますよ。」
と教えてくれた。

それまでは、どこかですごい人なのでは?
という思いはありながらも、
恥ずかしながら、”ちょっと縄文なアーティスト”ぐらいな認識で
知っている作品といえば、あの”太陽の塔”だけで、
それ以外は、”芸術は、爆発だぁ〜!”と言っていた
その奇抜な存在そのものだけだった。

しかしそれ以来、岡本太郎氏のことは
ぼくの中でも、折にふれ気になる人のひとりとなっていった。
最近では、今の時代の何かが
彼の仕事を求めているようなところがあるのか?
巷では、あの頃は数冊しかなかった
岡本太郎関連の本も、今では数え切れないほどの数が
出版されている。

そして今回は、昨年末より遂に東京都写真美術館で
「写真展 岡本太郎の視線」展が開催されている。
行ってみようかなぁ〜と思っていたら、
気がつけば、明日が最終日。

何よりも「行ってみようかぁ〜」と思ったのは
糸井重里さんが反応していた、
「写真というのは
偶然を偶然にとらえて必然化することだ。」

という岡本太郎氏の言葉だった。

そんな言葉につられながら、
この寒空の下、
久しぶりに東京都写真美術館に足を運ぶ。

その展覧会は、確かに非常によく編集されていて、
氏の写真の多くは、今では無くなってしまった
"FUJIFILM Neopan SSS"を使っていることもあって、
何とも懐かしい粒子の荒れ方をしていた。
その一見、乱暴ながら、繊細さも併せ持つ粒状が
氏の眼差しに、とても似合っていた。

そして何よりも、得した気分になったのは
その会場に、Brassai(解説によると、氏の友人で、
しかも、お下がりの伸ばし機まで、譲り受けたとのこと!!!)
Kertes,Man Ray,Capaといった、
そうそうたる写真家の、
「オリジナル・プリント」が展示されていたことだった。
しかも、Capaのそれはそうでもなかったけれど、
それ以外の写真家のイメージは
その全てが、いわゆる「マスター・ピース」と呼ばれている
秀逸な絵柄だった。

そして、その会場で

「いつもプロの写真を見て、さすが、職業作家でなければ
ああまでは追求できない、と写した材料のおもしろさと、努力に感心する。
しかし、いかにも写真くさい構えが、どうも私にはやりきれないのである。
玄人諸先生のあのねばりと目のよさを、
どうして素人的に発揮できないのかということが、私の最大の不満である。」

と話す、岡本太郎氏の言葉を見つけた。

この言葉は、自身に対する反省も含めて、
現在のぼくの思いが、そのままの言葉だった。

そしてそんな思いで、毎週書いている
「写真がもっと好きになる。」が、今日更新された。
今回の話は、
ファインダーを覗かなければ、見えないものもある。
というお話。

それにしても、岡本太郎さんは写真が好きだったんだなぁ〜!

December 2017

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