あたらしいということ。


このページは、9月22日に書いたもの。
実はこの日、長い間ぼくの担当をしてくださった
フジフイルムの長坂さんが、
43歳の若さで、この世を去ってしまった。

悲しいのはもちろんのこと、悔しくて、
そんな時に、勢いに任せて書いてしまったので、
当然、読めたもんではないほどのひどいテキストだった。
さすがに「こりゃ、だめだわ。」と一度は下げたものの、
そのたった数時間の公開中に、
多くの人が、それを読んでくれたみたいで、
多くの問い合わせメールをいただいた。

あの日が新月で、今日が満月。
しかも今日は、中秋の名月。
とはいっても、こんな天気では月なんか見えるわけもない。
それでも、新しいことが始まって欲しいと願って再更新。


2006年9月22日

今日は、きっと秋晴れと思っていたのに、
一日中、曇り空。
そんな空の下での撮影を終え、
移動途中に、とてもかなしい知らせが届く。

だからというわけではないけれど、
昨日よりずっと聴いている、
とても新しい解釈のゴールドベルグ変奏曲が
いつも以上に、強い説得力を持って聴こえてきた。

今日、ぼくが聴いていたのは、
グールドの再来などといわれている
若きピアニスト、マルティン・シュタットフェルト氏のもの。

彼の演奏するゴールドベルグ変奏曲は
ある種、とてもアイデアに満ちていて、
かの音楽の父・バッハが生み出した、
音の構成は、とても単純ながらも、
次から次へと生み出される美しい旋律に束縛されることなく、
どちらかというと、この曲で自然と生まれてくる
美しい”響き”に、焦点を絞ったかのような演奏。

具体的には、おそらく彼は、その”響き”のために
1オクターブあるいは2オクターブ上の倍音を、
時折、混ぜ合わせながら演奏する。
そのある種、とても乱暴な方法論のせいで、
当然のことながら、グールドのそれとも一線を画している。
少なくともぼくは、こんな演奏を聴いたことがない。

しかし、ぼく自身もハッと思ったほどに、
今となっては、無類のグールド好きのぼくの耳であっても、
とても自然に聴くことが出来ていた。
だったらと、今一度もう少し真剣に聴いてみると、
やはり、そこにはいくつかの発見があった。

ぼく自身も、何度となく繰り返し聴いている
グールドのゴールドベルグ変奏曲は、
彼がデビューした1955年と、
そしてこの世を去る一年前の1981年の二回にわたって、
録音されている。
もちろんどちらもが、とても秀一な演奏であることはたしか。

そして改めて、このマルティン・シュタットフェルトの演奏を聴いていると、
やはりそこにも、演奏スタイルこそ違うものの、
グールドのデビューアルバムと同じような若さがきちんとあった。
それは荒削りながらも、何だかやけにキラキラとした若さというか、
何としても前に進もうというよな、とても強い力のようなもの。
特にアレグロに至っては、ある意味ではグールド以上に
まるで、スピード狂のように飛ばしまくる。

なんて書いていると、まるで音楽評論家のようだけど、
もちろんそうではない。(笑)

ずっと思っていたことではあるけれど、
今日、突然こんな話を書き始めたのには、
もちろん”悲しい知らせが届いた”ということもあるけれど、
それには、もうひとつ大切な理由がある。

今回のように、同じゴールドベルグ変奏曲を演奏しても
これだけ違う印象の演奏が成立することと同じように、
実は、クラシック音楽を演奏するということと、
写真を撮るということは、
とても似ているところがある。

それというのも、クラシック音楽において、
演奏する以前の問題として、”そこに楽曲がある”ということと、
写真においても同様に、どのような写真を撮るのかの前に、
”そこに被写体がある”ということは、
ある部分においては同じことなのでは。

そんな時に、ぼくがふと思ったのは、
本当に”あたらしいもの”とか、
”あたらしいということ”といったものは、
いつの日も、ただの真新しさからは生まれていかないということ。
当たり前のことなのに、ついつい忘れがちな今日この頃。
それは、きっと写真だって同じこと。

そして、今回紹介する2枚のアルバムは、
このシュタットフェルトはもちろんのこと、
もともとは、グールドのゴールドベルグ変奏曲だって、
発表当時にしてみたら、きっと今以上に”あたらしい”ものだったはず。
そういう意味では、シュタットフェルトの演奏は、
もちろん、現時点ではその答えは出ていないけれど、
少なくともグールドの演奏に至っては、
発表当時は、あれだけ変人扱いされたにもかかわらず、
今となっては、天才という称号を持ったひとつの金字塔。
しかも驚くことに、未だに商品としても、
前代未聞の発売枚数を誇る定番中の定番。

やっぱりそうだよなー、それでいいんだよねーなんて、
ゴールドベルグ変奏曲を聴きながら、
今日は、ちょっとそんなことを改めて思った。

そして、この二つのゴールドベルグ変奏曲には
もうひとつ興味深い話が、これらのアルバムには含まれている。
それは、あのグレン・グールドだって、
最後まで、”あたらしいもの”を作ろうとしていたことの証明のように、
彼は1981年の録音の際に、当時としては、もっとも新しい技術だった
デジタル録音にて、その最後のゴールドベルグ変奏曲を録音した。
ところが、当時のエンジニアたちは、
今以上にデジタル録音を信用していなかったようで、
バックアップで、アナログ録音もやっていた模様。
(もちろんグールドには内緒で・笑)

それが2002年になって、そのアナログテープが出て来て、
そしたら今度は、最新のマスタリングの技術を駆使して、
それこそ”あたらしいもの”として、リリースされた。
しかも、そのCDの音を聴く限りにおいては、
驚くことに、他のどの盤よりも新鮮で瑞々しい音が、
そのCD盤には、しっかりと刻まれているような気がする。

そして今日、本当に話したかったことは、
きっとこんなことではないけれど、
それでも、きっと今日が新月だから?
やはり、そうやって正々堂々と、時には試行錯誤を繰り返しながら、
だからといって、”こだわり”なんていうことにとらわれないで、
”あたらしいということ”が
始まって欲しいと思ったので、始まるような予感がしたので。

そしてそのすがたは、時に安らかに、静かに、ゆっくりと。

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