ビリー・ホリディとハイビスカス


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といっても、写真は椿。
そもそも、椿とハイビスカスは似ているように感じている。
なぜなら、このあたりでは生け垣に椿がたくさんあるけれど、
それが南国に行くと、生け垣にはハイビスカス。
そんなわけで、今回の展覧会でも一点展示しているけれど、
ぼくのとってのハイビスカスは、”日常の花”。

そしていつも、そんなハイビスカスを見るたびに思い出すのが、
あの"Billie Holiday”のこと。
もちろん実際に見たことはないけれど、
どの写真を観ても、いつだって彼女は、
あたまの上にハイビスカスの花飾りを付けている。

ここ数日、久しぶりにそんな”Billie Holiday”に夢中。
これには、きっと様々な意見があると思うけれど、
今までは、そうでなくても録音の悪い音源を、
SP盤であったり、LP盤であったり、
あるいはその音源をそのままプレスしたCDで、
そのこもった音と、ヒスノイズの向こう側にある世界観に
時にはひたってみたり、さがしてみたり、感じてみたりと聴いていた。
ところが、最近リマスタリングされたCDを聴くと、
彼女のその歌声は、改めてより一層とてもうつくしく、
今度は、そうなると雰囲気とかどうのこうではなくて、
”歌”という言葉となって、こちらに響いてくるように感じる。
それはもちろん、演奏されている楽器の音色とて、同じこと。
しかも、時にははじめて聴いたような気になる瞬間もたくさんある。


Lady Day: The Best of Billie Holiday

ぼくが手に入れたのは、下のうつくしい写真につつまれたBoxSet。

Lady Day: The Complete Billie Holiday on Columbia (1933-1944)


ぼくは学生時代に、レコードをカセットテープに録音して、
いつも暗室で、あのステレオではない、
小さなスピーカー付きのカセットレコーダーを使って、
「Billie Holidayは、こうやって聴くのが一番!」などと言って、
かなり、その気になって聴いていた。(笑)
(でもこれ、本当にいい感じで聞こえるので、ためしてみたら?)

とにかく最近は、音楽にしても映像にしても、
なにかといろんなものがつるんとしてきて、
いわゆる肌触りみたいなものが、どんどんうしなわれる中で、
もしかしたら、今回のBillie Holidayなんかは、
時にはそうすることで、むしろ”肌触り”が再製されるという
好例のひとつなのかもしれない。

そういえば、Charlie ParkerのCDもそうだったな...

それでも、全部がうまく行くわけでもなさそうだけど...

December 2017

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