今年の「中秋の名月」は、
東京でもとてもきれいに観られましたね。
ぼくも数年前に、ビームスで開催した「SILENTSEEING」を
懐かしく思い出しながら、満月を見上げていました。
この「SILENTSEEING」というのは、造語なのですが、
その中にぼくは「ゆっくり、しずかに、ものを観ましょう。」
というメッセージを込めました。
特に「写真」というのは、瞬間瞬間で写し出されるものなのですが、
実は、それこそが「写真そのもの」だったりもするのですよね。
そしてこの日は、今やぼくの中では恒例となっている
高円寺・次郎吉における「blues.the butcher」のLIVEの日。
これもまた同じように、何度となく繰り返し演奏され続けている
BLUESというルーツミュージックを、
ホトケさんが中心となって、そこに沼澤さんのグルーブが重なり、
中条さんのベースと、コテツさんのハーブが音の厚みを作り上げ、
その演奏される、ものすごいスピード感とは裏腹に、
とてもゆったりとした、心地いいぬくもりが生まれてきています。
きっと、これらも同じことなのかもしれませんね。
しかも、その日は次の日からオープンの
「フェルメール”牛乳を注ぐ女”とオランダ風俗画展」を
一足先に見せていただいたのでした。
それこそフェルメールといえば、描いた絵は生涯30点。
若くしてこの世を去ってしまったことも手伝ってのことではあるけれど、
それにしても、一点の絵にかけられた時間はかなりのもの。
そしてその眼差しは、今回の「牛乳を注ぐ女」にしてもすべて、
その日常に向けられているのです。
そこから、こんなにも普遍的な世界が生まれているのですから、
それって、どう考えても相当すてきなことですよね。
フェルメールの絵は、一点しかありませんが、
それでも、十分に見応えのある
まさに「This is SILENTSEEING」な世界でした。
いよいよというか、やっと、秋ですね。