いろいろあった夏が終わって、ぼくは先日、
弘前で開催された「Blues Power Live」に向かったその足で、
それだけの話をすると、すごく格好いいのだけれど、
雲を撮りに、北海道に向かいました。
場所は、友人の写真家・基敦氏が暮らす北富良野。
そこでぼくは、生まれて初めて偶然にも”鮭釣り”をしたのです!
これ、かなり男な釣りなのです。
結局、そんな鮭を釣り上げることは出来なかったのですが、
それでも、しっかりと数回ヒットして、
かなり大きな手応えを感じることが出来たのです。
すごく楽しかったのはもちろんのこと、
ぼくは、その鮭釣りで大切なことを思い出すことが出来ました。
ぼくが大学生の頃大好きだった開高健氏は、
その頃、自らを「釣り師」と呼んでいました。
とはいうものの、そんな彼が紡ぎ出す文章のすべては、
とてもあたたかくて、尚かつ美しくて、
ぼくは大好きだったのです。
その感じ、ちょっと忘れてしまっていたかもしれません。
もちろん、パリから戻ってきてからも、
パリの書店で買い求めていた文庫本の中から何冊か
改めて手に入れて、読んでいたりはしたのですが、
ぼくは、そのあたたかい感じを忘れていたのです。
それこそぼくが学生時代の開高健氏は、
次から次へと、釣りの本を中心に出版していました。
そして、多くのメディアにも登場していました。
でもそんな彼が、釣りと食に向かっていったのは、
他でもない、ベトナム戦争での経験からなのでした。
氏はベトナムから戻ってきて、
言葉を紡ぐことさえばかばかしくなりながらも
二冊の美しい小説を書きました。
「輝ける闇」〜「夏の闇」〜「花終わる闇(絶筆)」
と続く、”闇”三部作。
中でも「夏の闇」という小説は、推敲に推敲を重ねて書き上げた
とても美しい言葉がたくさん散りばめられた小説でした。
しかも、氏はそれ以降、一切小説を発表していません。
ぼくはまず、札幌で「フィッシュ・オン」という釣り本を手に入れました。
そして東京に戻ってきて、改めて「夏の闇」を読んだのです。
これちょっと、久しぶりにしびれました。
そして、改めて氏が”釣り”という道に向かっていったことが、
少しだけわかったような気がしたからなのです。
いずれにしても、実際に向かい合わないと、触れてみないと、
わからないことがたくさんあるということです。
それはきっと、いつの時代でも同じですよね。
ぼくもまだまだよくわかってはいませんが、
まずは、大好きな開高健氏に習って、
来年から、本格的に鮭釣りを始めたいと思っています。
だって「殿下」だから。(笑)