といっても、写真は椿。
そもそも、椿とハイビスカスは似ているように感じている。
なぜなら、このあたりでは生け垣に椿がたくさんあるけれど、
それが南国に行くと、生け垣にはハイビスカス。
そんなわけで、今回の展覧会でも一点展示しているけれど、
ぼくのとってのハイビスカスは、”日常の花”。
そしていつも、そんなハイビスカスを見るたびに思い出すのが、
あの"Billie Holiday”のこと。
もちろん実際に見たことはないけれど、
どの写真を観ても、いつだって彼女は、
あたまの上にハイビスカスの花飾りを付けている。
ここ数日、久しぶりにそんな”Billie Holiday”に夢中。
これには、きっと様々な意見があると思うけれど、
今までは、そうでなくても録音の悪い音源を、
SP盤であったり、LP盤であったり、
あるいはその音源をそのままプレスしたCDで、
そのこもった音と、ヒスノイズの向こう側にある世界観に
時にはひたってみたり、さがしてみたり、感じてみたりと聴いていた。
ところが、最近リマスタリングされたCDを聴くと、
彼女のその歌声は、改めてより一層とてもうつくしく、
今度は、そうなると雰囲気とかどうのこうではなくて、
”歌”という言葉となって、こちらに響いてくるように感じる。
それはもちろん、演奏されている楽器の音色とて、同じこと。
しかも、時にははじめて聴いたような気になる瞬間もたくさんある。
ぼくが手に入れたのは、下のうつくしい写真につつまれたBoxSet。
ぼくは学生時代に、レコードをカセットテープに録音して、
いつも暗室で、あのステレオではない、
小さなスピーカー付きのカセットレコーダーを使って、
「Billie Holidayは、こうやって聴くのが一番!」などと言って、
かなり、その気になって聴いていた。(笑)
(でもこれ、本当にいい感じで聞こえるので、ためしてみたら?)
とにかく最近は、音楽にしても映像にしても、
なにかといろんなものがつるんとしてきて、
いわゆる肌触りみたいなものが、どんどんうしなわれる中で、
もしかしたら、今回のBillie Holidayなんかは、
時にはそうすることで、むしろ”肌触り”が再製されるという
好例のひとつなのかもしれない。
そういえば、Charlie ParkerのCDもそうだったな...
それでも、全部がうまく行くわけでもなさそうだけど...